作家論/作家紹介
獅子 文六『食味歳時記』(中央公論新社)、『私の食べ歩き』(中央公論新社)、『バナナ』(筑摩書房)、『愚者の楽園』(角川書店)、他
獅子のまるかじり
――獅子文六、ほんとうの味
こどものころ、漫才コンビの「獅子(しし)てんや瀬戸(せと)わんや」がけっこうすきだった。獅子に似た四角い顔のごついほうが、獅子てんや。まるっこい顔で、背が低いほうが瀬戸わんや。名前と風体と芸風がやたらぴたりと決まっていて、いまかんがえると、おもしろみに安定感があった。ボケとツッコミの間合いにも、揃いの蝶ネクタイ姿にも昭和の空気がみっしり匂っていたけれど、でも昭和が終わるまえにいつのまにか消えてしまった。いったん思いだすと、やたらなつかしい。「獅子てんや瀬戸わんや」の名づけ親。それが獅子文六(ししぶんろく)である。といっても、事後承諾だったらしいけれど。芸名の由来は、昭和二十二年、毎日新聞に連載されて大評判をとった獅子文六のベストセラー小説『てんやわんや』。それにしても目のつけどころがいい。とっ散らかった騒々しさが漫才にぴったりだし、印象あざやか。自分の苗字(みょうじ)まで勝手に使われても、これほどみごとな芸名なら当の本人も納得するほかなかったろう。ただし、その何枚も上手をゆくのが獅子文六なのだった。
獅子文六は名前をふたつ、使い分けた。
明治二十六年、横浜生まれ。慶應義塾大学をさっさと中退、フランス留学したのは二十九歳のとき。四年ほどパリに暮らしてからフランス人の妻マリーをともなって帰国し、まず演劇人として世に出て劇団「文学座」の創設に関わった。戯曲や演劇の演出、評論など演劇活動をするとき名乗ったのは、本名の岩田豊雄(いわたとよお)。小説や随筆を執筆するときには、獅子文六。それにしても、ひとを食った名前ではないか。みずから考案したこの奇妙な名前は、「四掛ける四で十六」をもじったとも、「文豪」(文五)の上をゆく「文六」とも言われるのだけれど、名乗りも名乗ったり。虎の、いや獅子の威を借りた効果は抜群で、腕組みしてどっかり腰をおろした座りのよさを感じさせる。にくらしいほど用意周到な名前なのだ。なのに、そのいかつい名前でもって娯楽小説やユーモア小説を書きつづけたのだから、ひねりがきいている。三度結婚し、妻に二度死に別れ、三度めの妻とのあいだに長男をもうけたのは、なんと六十歳。ようするに一筋縄ではいかない御仁なのです。獅子文六として最初に名を広めたのは昭和十一年、新聞小説『悦ちゃん』。戦後は『てんやわんや』『自由学校』『やっさもっさ』『大番(おおばん)』『バナナ』……連載小説を書いてはヒットを飛ばした。獅子奮迅(ししふんじん)の活躍ぶり、などと書くと、「つまらんこと言うな」と本人に鼻で笑われそうです。
その獅子文六、食べものにめっぽううるさかった。蘊蓄(うんちく)にうるさいどころか、大食らいの健啖家で、無類の食い道楽。自分の舌が肥えていることに絶大な自信があった。昭和の食味随筆の系譜としては吉田健一(よしだけんいち)、小島政二郎(こじままさじろう)、北大路魯山人(きたおおじろさんじん)、池波正太郎(いけなみしょうたろう)などに連なるとされるが、しかし、じつは陣取った場所がちがう。じっさい、つねに文壇とは距離を置いた。新聞や週刊誌の連載小説が売れに売れ、映画の原作にもひっぱりだこ、押しも押されもせぬ流行作家になっても作家とのつきあいを避けた。
自分の文壇嫌いについて、みずからあからさまに書いた随筆がある。『食味歳時記』の「名月とソバの会」だ。大正の終わりか昭和のはじめごろ、仲秋名月の夜に文士が集まって蕎麦(そば)を食う会が催された。会の世話人は「校正の神様とかいわれた人」で、集まったのは佐藤春夫(さとうはるお)、久保田万太郎(くぼたまんたろう)、幸田(こうだ)露伴、上田万年(うえだかずとし)ほか。二階の座敷に上がると、佐藤春夫と久保田万太郎はおなじ三田派だというのに、不仲だから口をきかない。そのうえ佐藤春夫が蕎麦を取りに行く態度が傍若無人に映り、「明治文士の生残りとして、影が薄かった」幸田露伴を気の毒に思う。座に流れる妙な空気をとりなしたのは「校正の神様」だ。ただし、出された蕎麦の味はうまかったし、会費を支払って外に出ると見惚(みと)れるほどうつくしい月がかかっていた。
でも、私はその晩の会が、愉快でなかった。文士の集まる会へ出たのは、始めてだったが、こんなことならもう止(や)めようと思った。
その後、私も文士の仲間入りして、時には、会合に出ることもあったが、いつも、つまらなかった。近頃は、どんな会合にも(実に会合が多い世の中になった)ご免を蒙(こうむ)っている。最初の時に、失望したからだろう。
失望の根っこには、娯楽小説やユーモア小説を文学と認めようとしない文壇への憤りや反発があったろう。とはいえ、とにもかくにもうまいものは四の五の言わず「うまい、うまい」と耽溺(たんでき)したい。元来が気むずかしく、人嫌い、無愛想、徹底した合理主義の獅子文六は、自分と食べもののあいだに余計な感情や事情が介入してくるのが我慢ならなかった。なにしろ、みずから「グウルマン」を認める大食らい、大酒飲みである。その自負を下敷きに書く食歴の自慢っぷり、鼻息荒い書きっぷり。好きな食べものを好きなように食べ、飲み、書きたい唯我独尊の気分に水を差す文壇、または文士が癪(しゃく)に障った。交流のあった数少ないなかのひとり、今日出海(こんひでみ)は「回想の獅子文六」(『獅子文六の二つの昭和』牧村健一郎著)のなかで吐露している。
私は彼とどこそこの店の料理は美味(うま)いとか、いやそれほどでもないとか限りなく口論して時を過したことを忘れない。よしなき話には違いないが、食い物の話になると執拗(しつよう)なまでに喋(しゃべ)り続けて終ることを知らぬ人だった。息子の話と食べもので、偏狭で神経質な彼はどんなにか救われていたことかと言えるだろう。
食べものに救済された男、獅子文六。終生食べもののことをさかんに書きながら、じつは食べものに救われていた。食べものにすがっていた。その獅子をがじがじ齧ってみると、どんな味がするのかな。えぐいのかな。硬いかな。おなかこわさないかな。吼(ほ)える獅子と睦みあう妄想が頭のなかでふくらんでしまい、いてもたってもいられなくなってきました。熊(くま)も食べた。いのししも、鹿も食べた。うさぎもたぬきも食べた。でも、獅子は食らったことがない。おとなしくしていればいいものを、うっかりちょっかいを出して舐めたり齧りついたりしてみたくなるのは、わたしのわるい癖かもしれないけれど。
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