書評

『自由学校』(筑摩書房)

  • 2019/12/11
自由学校 / 獅子 文六
自由学校
  • 著者:獅子 文六
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(429ページ)
  • 発売日:2016-06-08
  • ISBN-10:4480433546
  • ISBN-13:978-4480433541
内容紹介:
敗戦後の日本にやってきた“自由”という価値観は、人々の暮らしや風俗、男女の恋愛観までも一転させてしまう。それは、しっかり者の妻とぐうたら亭主の夫婦にもこれまでの仲を揺るがすような大喧嘩をもたらす…。戦後の東京を舞台にある夫婦のドタバタ劇を軽妙な語り口で描きながら、痛烈な社会風刺も込めた獅子文六のあらゆる魅力が凝縮した代表作が遂に復刊!
この頃なぜか、昭和三十年代、つまり私が子どもだった頃に活躍していた画家たちのことを懐かしく思い出す。とくに猪熊弦一郎、鈴木信太郎、宮田重雄といった人たちの絵が懐かしい。と言っても別に個展に行ったわけでも、家に画集があったわけでもない。この方たちの絵は、新聞連載小説のさし絵になっていたり、大人の本の表紙になっていたりしたので(今で言えばイラストレーターとか装丁家にあたる仕事もしていたので)、子どもの私の目にも触れ、なじんでいたというだけだ。

子どもだから、彼らがどんな偉い画家なのか何も知らない。「好きだな、この絵」と思って名前を見て、それで自然におぼえてしまったのだ。何か、今よりずうっとお洒落で、モダンだったような気がする(あ、そうだ。この三人とはまったく傾向は違うが、岩田専太郎のさし絵も好きだった。美女の目まわりの色っぽさに、あやしく胸を騒がせたものです)。

宮田重雄のさし絵のことを考えていて、名コンビだった獅子文六の小説が読みたくなった。私の子どもの頃は凄い有名作家で(今調べたら、芸術院賞と文化勲章を受けているのね。知らなかった……)、『悦ちゃん』はわが憧れだった松島トモ子ちゃん主演でテレビドラマ化されていたし、『娘と私』はNHK朝の連続ドラマの第一回作品となった。『自由学校』『大番』など映画化された小説も多い。テレビ化、映画化という点で見たら、こんなに大衆に広く親しまれた作家というのも珍しいのではないか(漫才の獅子てんや・瀬戸わんやというネーミングもやっぱり、この作家の人気と関係あったんでしょうね)。

当時、私は中学生だったと思うが、『可否道』という新聞連載小説(コーヒーをいれるのが天才的に巧い女の人の話だったと思う)を面白く読んだ記憶がある。獅子文六の小説は、この一作しか読んでいない。一世を風靡(ふうび)したユーモア作家ということになっているが、そのユーモアとはどんなものだったのだろうか。何しろ大江健三郎が講演で林家三平のマネをちょっとしただけで、新聞は「ユーモアをまじえた講演」と書く国である。ユーモア作家などという呼称は大いに疑ってかからなければならない。

という、ちょっと意地悪な関心もまざって書店に獅子文六作品を探しに出かけたのだが……驚きました、全然手に入らないの。どこの文庫にも入っていない。活躍期からたかだか三、四十年じゃないの? この忘れられようはひどい。やっぱりお笑い系は時の流れに弱いのだろうか? こうなると意地でも読んでみたくなる。(※ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆年は1995年)

ようやっと『自由学校』(一九五〇年朝日新聞連載、さし絵・宮田重雄。一九五二年文藝春秋新社)のコピーを手に入れる。

うーん……結論から言って、面白かった。今でも十分に楽しめた。偉そうに言うが、確かにこれはユーモア小説と言うべきものである。悠揚せまらぬおかしみがある。

敗戦後の新風俗――男と女の役割意識が大きく変化してゆく新風俗を背景にした、一組の男女のおかしな冒険物語である。

小学生時代に見た喜劇映画に『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』というのがあったが(あれはいったい何だったんだろう? マンガの映画化か?)、それふうに言うと、『自由学校』の主役カップルはノンビリ亭主とシッカリ夫人ということになる。

夫の五百助(いほすけ)は堂々たる巨体の持ち主で、見るからに大人物のようだが、世俗的な欲もなければ気概もない。ただもう一個の大自然のような男である。いっぽう妻の駒子は人一倍頭の回転が速く、よけいな情緒に流されず、すばやく現実に適応してしまうリコウ者である。おまけにお嬢さま育ちの美女である。

「気位の高い娘として、あの男もイヤ、この男も嫌ひと、惜しげもなく、秀才や美青年を、ケトバシてきた彼女が、五百助のやうな男に、コロリと参つてしまつたのは、不合理の極であつた。或ひは、過度の合理の災ひであつたかも知れぬ……」と言うのがおかしい。こういうわざと硬い言い方をしたり、あるいは、「ローズ色に塗つた壁に、灰色と淡青色で、花模様がかいてあるのは、三色版のローランサンといつた調子で、その壁と、鉢植えの針葉樹に囲まれた、この一隅は、なにか、ムリに、甘ツたるい空気を製造してる傾きがある」とわざと即物的な言い方をするところが、ドライでいくぶん高踏的なおかしみをかもし出しているのだ。

ある日、五百助は家を出る。自由を求めて“蒸発”してしまうのだ。着のみ着のまま都内をさまよい、ルンペン生活のあげく「神田と本郷を結ぶ、大きな橋の下」ということは御茶の水の橋の下のスラムに住みつくことになる(この部分の描写は、東京史の貴重な資料になるのではないか)。

いっぽう、夫に去られた駒子は、むだにくよくよすることもない。生活力旺盛で、娘時代に戻ったかのようにお洒落を楽しみ、男たちからの誘惑も多々あって――というスリリングな日々を送るようになる。

つまりは、五百助も駒子もそれぞれに未知の世界を探険し、すったもんだのあげく、(御約束通り)ヨリを戻す――というお話になっている。

新聞連載小説だから、このすったもんだの部分が、けっこう無理矢理に長い。もっぱら傍役(わきやく)陣の面白さでもたしている。当時の風俗最尖端カップル(女性的な青年と男性的な娘が恋愛感情抜きに恋人同士としてつきあっている)は今読むとハヤリ言葉(「とんでもハップン」みたいな)がさすがに色あせて感じられるのと、戯画化が過ぎるように思われて退屈だが、五笑会という祭りばやしの会をやっている男たちの描写のほうは楽しい。戯画化された小津映画のようだ。

駒子自体が「ブルジヨアの家に生れ、ブルジヨアの家に嫁した女の幾割は、戦争で転落しても意地ばかり強くなつて、感傷は嫌ひだつた。いや、メソメソすると、飛んでもないことになると、知つてゐた」という種族の女で、五笑会をやっている叔父(T大名誉教授)というのも、「細君とも、シンミリした口をきいたことのない男なのである」。

この一作だけで断定はしにくいが……どうも獅子文六という人は感傷というのをそうとうに嫌っていた様子である。笑って泣かせてという泥くささはない。どこまでも「ほがらか」をよしとした人のようである。こういう、いわば強者(経済的にも知的にも恵まれている階層)のほがらかさが、一九五〇年の日本の大衆に支持されたという事実――。ちょっと不思議な気がする。

【単行本】
獅子文六作品集〈第1巻〉自由学校・楽天公子 / 岩田 豊雄
獅子文六作品集〈第1巻〉自由学校・楽天公子
  • 著者:岩田 豊雄
  • 出版社:文藝春秋新社
  • 装丁:-(362ページ)

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【この書評が収録されている書籍】
アメーバのように。私の本棚  / 中野 翠
アメーバのように。私の本棚
  • 著者:中野 翠
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(525ページ)
  • 発売日:2010-03-12
  • ISBN-10:4480426906
  • ISBN-13:978-4480426901
内容紹介:
世の中どう変わろうと、読み継がれていって欲しい本を熱く紹介。ここ20年間に書いた書評から選んだ「ベスト・オブ・中野書評」。文庫オリジナルの偏愛中野文学館。

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自由学校 / 獅子 文六
自由学校
  • 著者:獅子 文六
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(429ページ)
  • 発売日:2016-06-08
  • ISBN-10:4480433546
  • ISBN-13:978-4480433541
内容紹介:
敗戦後の日本にやってきた“自由”という価値観は、人々の暮らしや風俗、男女の恋愛観までも一転させてしまう。それは、しっかり者の妻とぐうたら亭主の夫婦にもこれまでの仲を揺るがすような大喧嘩をもたらす…。戦後の東京を舞台にある夫婦のドタバタ劇を軽妙な語り口で描きながら、痛烈な社会風刺も込めた獅子文六のあらゆる魅力が凝縮した代表作が遂に復刊!

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初出メディア

毎日グラフ・アミューズ(終刊)

毎日グラフ・アミューズ(終刊) 1995年1月11日号

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