書評

『鹿の王―菩薩本生譚』(河出書房新社)

  • 2020/03/12
鹿の王―菩薩本生譚 / 三田 誠広
鹿の王―菩薩本生譚
  • 著者:三田 誠広
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(210ページ)
  • 発売日:1994-12-00
  • ISBN-10:4309009549
  • ISBN-13:978-4309009544
内容紹介:
女は獣、獣は男、過去は未来、未来は現在…輪廻転生による、釈迦の前世物語。生とは、死とは何か。そして、釈迦の悟りとは何か。仏教創始以来、二千五百年の歴史的な謎に、深く分け入る画期的な連作小説。

倒れていた男へ深い眼差し

単純なことをいえば、三十歳で殺されたイエスの生涯は劇や小説に仕立てやすい。だが八十歳で大往生をとげたシャカの人生は文学の主題には活かしにくい。古来その方面の名品が、東西をとわずすくないのはおそらくそのためではないか。その手を染めればかならずくぐらなければならないジレンマを、作者はどのように越えようとしているか。それが本書の見どころだろう。

冒頭、森の中に生きる鹿の王がでてくる。黄金の輝きを放ち、高貴な威厳に包まれている。あるとき、川の瀬に倒れている男の姿がその鹿の王の心に映る。男はかつて富裕な商人の息子であった。放蕩のすえ国を追われ、森に逃げて気を失っていたのである。鹿の呼び声にこたえて男が蘇る。その出会いが男に勇気を与え、ふたたび世間にむけて旅立たせる。歳月が流れ、男は商人として成功する。だがたまたまかれが住みついた国の王が鹿の王の話をききつけ、転機が訪れる。人の王は大部隊を率いて森に入っていったからだ。やがて鹿の王と人の王が森の中で対峙する瞬間がやってくる。だが鹿の王の深い眼差しを浴びた人の王は大地にひれ伏して、弓矢を捨てる。

川の瀬に倒れていた男は、いったい誰だったのか。物語はその一本のか細い糸をたどって過去にさかのぼり、未来にのびて展開していく。あるとき男は最愛の妻に裏切られ一匹の野獣と化した王子であった。またあるとき男は、慈愛の故に飢えた虎の前に身を投げだす王子だった。また邪悪な王によって火刑に処せられる悲しみの王であり、牝象の恨みの故に息絶える六牙の白象であった。そしてそのいずれの生の場面においても、あの侵しがたい光にみたされた鹿の王の眼差しが男の姿をおし包み、微細な金色の粒子が地上にふりそそいでいたのである。

短篇を輪廻転生式につなぎ合わせてつくった美しいメルヘン小説の誕生、といってよいのであるが、ただ巻末の「自著注解」だけはどう考えてもなくもがなの蛇足である。
鹿の王―菩薩本生譚 / 三田 誠広
鹿の王―菩薩本生譚
  • 著者:三田 誠広
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(210ページ)
  • 発売日:1994-12-00
  • ISBN-10:4309009549
  • ISBN-13:978-4309009544
内容紹介:
女は獣、獣は男、過去は未来、未来は現在…輪廻転生による、釈迦の前世物語。生とは、死とは何か。そして、釈迦の悟りとは何か。仏教創始以来、二千五百年の歴史的な謎に、深く分け入る画期的な連作小説。

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初出メディア

読売新聞

読売新聞 1995年3月6日

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