書評
『マッカーサーと吉田茂〈上〉』(角川書店)
外交官体験から複眼的考察
どうやらマッカーサーも吉田茂も、人見知りをし人嫌いである点で共通だったようだ。しかし誰彼となく愛敬をふりまく今日的な政治指導者とは、まったく正反対である「マッカーサーと吉田茂の二人がどちらも、どちらかといえば偏狭な民主主義観と伝統的な価値を偏愛していたにもかかわらず、日米双方の仕事を指揮するなかで、ともども主要な役割を演じたという逆説」の証明こそが、占領の全体像に迫る本書の一貫したモチーフに他ならない。汗牛ただならぬ占領関係書の中にあって、本書にオリジナルな解釈を求めるのは見当違いというものだ。まずは著者のキャリアに注目せよ。占領期に外交官として日本に滞在し、後に国務省日本部長を務めた実務家としての体験を十分に生かした点に、本書のユニークさがある。しかも著者は十年以上の歳月をかけて丹念に日米双方の文献資料を追究し、同時に精力的に占領関係者へのインタビューをこなしている。その知的誠実さは下巻末の詳細な注釈に示される。単なる引用注にとどまることなく、たとえばウィロビーの回顧録に触れて「日本語版として日本でしか出版されなかった点でも興味深い」とさらりと評するのはなかなかのものだ。
もっとも憲法制定・農地改革・教育改革など民主化をめぐる主要な論点については、これまでの研究の有力説すべてに検討を加えた上で、著者自身の見解が複眼的に下されるため隔靴掻痒の感は否めない。しかし、占領軍による検閲の問題やパージの問題については、明らかにやりすぎとの判断に立つ。また占領後期の立役者たるドッジ、ドレーパー、ダレス、ケナンの四人に関する記述は精彩に富み、経済復興や安全保障について現実主義的思考のあり方を考えるに際し、まことに示唆的であると言ってよい。
翻訳はこなれて読みやすく、類書の少ない占領の時代の概説書としても一読に値するであろう。内田健三監修。
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