差別に反撥し不条理を考える
「今の時代、紛争は武力ではなく対話や外交でこそ解決に向かうことが世界の約束ではなかったのか(日本国憲法の前文にもあるように)」ウクライナの様子をテレビで見ながら同じ問いを抱いているのだが、本書に書かれたこの言葉には特別の重みがある。著者は、この半世紀の間、ベトナム、カンボジア、アウシュビッツ、広島、長崎、沖縄を訪れドキュメンタリー写真を撮ってきた。悲惨な戦争体験をしたこれらの地に暮らす人々にていねいに接し、「その人たちの語る言葉のなかに沈殿する苦悩を、時には安堵や喜びを写真に写し取りたい」と願いながら「その人の心の奥に潜む戦争」を記録してきたのだ。
精力的な取材を支える力の一つが差別への反撥である。カメラマンとして出発した頃、アシスタントの男性と共に現場に行くと、相手は男性が撮影するものと思い込んでいたという。ここで、日常にある差別を放っておくと取り返しのつかない人権破壊につながることを歴史が示しており、それが顕著に見えるのが戦争だと気づいた。
コロナ禍で取材ができなくなった著者が、これまでの取材ノートを読み返し、出会った人々の言葉を軸に進めた思索は、「戦禍~不条理から」「戦争の終わりとは何か」という形でまとめられる。ベトナムの二〇歳の青年は「八歳頃から遊びながら敵の情報を取っては村人に知らせたりしていた。ボクが11歳のときに、道を歩いていた両親が突然、射殺された」と語る。身を売られ11歳で売春を強いられた少女は、難民になっての国外脱出の時に逃げ出そうとしたことを語ろうとして泣き出す。
一九八〇年のカンボジアでの取材は、人々が「恐怖を滲ませた表情を浮かべ、暗く闇を見つめるような目をしている」理由を知りたくて始めたものだ。そしてポル・ポト政権による「大量虐殺はたしかに事実として存在していた」ことを確認する。遺骨の掘り出し現場の記録は、よくぞこの惨状を凝視したものだとプロに徹する著者に頭が下がる。政権側の幹部だった人たちは異口同音に「自分が殺されないために殺し続けるしかなかった」と答えたという。ここにある「人間の意識の底に潜んでいる権力欲や殺意などの魔性」は、決してその時だけのものではない。それが続いていることが示されている今この時に何ができるか、本書に示された事例や言葉から学ばなければならない。
カンボジアで求めた美しいサンポットの絹地で作った上っ張りは著者の宝物だ。広島で被爆したために両手で五本しか指が動かない手で裁縫を続ける清水ツルコさん(1911年生)が作ってくれたものである。その姿に逞(たくま)しさと神々しさを感じた著者は、そこに「今」の被爆者を感じ、広島・長崎・沖縄を訪ねて記録を始める。取材拒否の理由が、職場に知られたくないから孫の結婚に響くからと変わってくる中で、「忘れたい。でも忘れたことはない」というツルコさんの言葉が常に思い起こされる。戦争は終わらないのだ。
著者の原点は二〇代に訪れたパプアニューギニア。自然の一部として暮らし、豊かな精神世界をもつ人々に教えられた魂との出会いだ。不条理な戦争のある中でも堅実な言葉で平和の未来を語る若者が、若き日の著者に重なる。