作家論/作家紹介

宇能 鴻一郎他『水蜜桃―ポルノの巨匠傑作選』(祥伝社)、宇能 鴻一郎『鯨神』(中央公論新社)、『味な旅 舌の旅』(中央公論新社)、他

  • 2022/07/12

ここに一冊の文庫本がある。
『いま、危険な愛に目覚めて』栗本薫選 日本ペンクラブ編 昭和六十年刊
編集担当者は村田登志江さん(現・集英社文芸編集部)である。

いま、危険な愛に目覚めて / 栗本 薫
いま、危険な愛に目覚めて
  • 著者:栗本 薫
  • 出版社:集英社
  • 装丁:文庫(400ページ)
  • 発売日:1985-07-19
  • ISBN-10:4087510301
  • ISBN-13:978-4087510300
内容紹介:
俺が愛しているのは、アキラの方だ!ミステリアスな愛の世界を写す連城三紀彦の「カイン」ほか、森茉莉、川端康成ら10人が愛の妖しさや悲劇を描く耽美小説集。日本ペンクラブ編。

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「中島梓(なかじまあずさ)名義で評論活動もなさる博覧強記の方でしたし、読書量も膨大で、決断も早かった。アンソロジーの選者をおねがいしにうかがうと、『あたしが選ぶんだからふつうの本にはならないわよ、それでもいいの』。ええもちろんおまかせします、とお伝えしました」

そして選んだなかに、宇能鴻一郎「公衆便所の聖者」があった。ほかに川端康成(かわばたやすなり)「片腕」、江戸川乱歩「踊る一寸法師」、司馬遼太郎(しばりょうたろう)「前髪の惣三郎(そうざぶろう)」、筒井康隆(つついやすたか)「会いたい」、森茉莉「日曜日には僕は行かない」など、栗本薫ならではの十作品が揃った。「公衆便所の聖者」は、高橋睦郎(たかはしむつお)のエッセイ「男根崇拝の美学」に書かれた映画館に出没する奇怪な人物に触発されて執筆され、『魔楽』に収録された一篇である。

巻末の「解説」で、栗本薫は告白している。

かつて、宇能鴻一郎は私のヒーローの一人であった。『魔楽』『切腹願望』『リソペディオンの呪(のろ)い』『座蝋(ざろう)の刑』といった、妖(あや)しく、悲惨な、悪夢のような、そして異様な吸引力をもった小説を私は読みふけり、呆然(ぼうぜん)とした。

つづけて、こうも書く。

「しかしかつて『鯨神』を書いた作家は『私、××なんです』を書きつづけて一生を人気作家として終るを得るであろうか?」

そうかなあ。ちょっとちがうような気がする。

「女ざかり」(昭和四十七年)あたりを契機にあの一人称独白体を発見したとき、宇能鴻一郎はあらたなべつの場所へ「とび出して」いたのではないか。純文学から中間小説へ、さらに娯楽官能小説へ(この区別じたい、もはや宇能鴻一郎を相手にしては意味を持たない気がする)自在に進む足どりを知るにつけ、わたしは宇能鴻一郎がたどりついた文体にすがすがしさをおぼえはじめていた。雨が森林に降りそそいで山肌にたっぷり浸(し)みこんだのち、何年も何十年もかけて岩や石のあいだを縫い、土中をくぐり抜け、透明な清水となってふたたび湧き出るような、よけいなものが混じっていない濾過(ろか)された文章。

「あたし、お乳も腰も、自分でうっとりするくらい脂肪が張りつめていて」

「スラリと痩(や)せてるけれど、お乳とお尻はプリンと発達してて」

女ざかり / 宇能 鴻一郎
女ざかり
  • 著者:宇能 鴻一郎
  • 出版社:双葉社
  • 装丁:-(306ページ)
  • 発売日:1979-07-01

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ずいぶん稚拙(ちせつ)な会話だなと構えを崩させる、いっけん似通った無防備な文章のなかにしたたかなリアリティがある。シンプルで、単刀直入で、通俗的な匂いがない。むだのない直截(ちょくせつ)さは、だからこそすがすがしい。そして読む者にすべてがゆだねられている。『ラブシーンの言葉』のなかに、ぐっとこころを摑(つか)まれる一節がある。「官能小説は結局、見る行為の『描写』のところに見せ場がある」という文章につづけて、荒川洋治さんはこう書くのだ。

こまかいところ、たとえば『蜜壺(みつつぼ)』のぐあいや『うるみ』『滴(したた)り』などをこまかく官能小説が『描写』するのは、それを男たちが知らないのではなく、知ってはいるがいつもあわてているので落っことしてしまうからである。だから『描写』はたいせつ。官能小説はいつも、男たちのうしろを歩くことになる。

官能小説が湛(たた)える繊細さ、せつじつさに、わたしはひそかに震えてしまう。けれども、宇能鴻一郎にかぎっては、男たちのうしろを歩いてはいない。男たちが知りたい、つかまえたい肉体にするりと先回りして入りこみ、男たちを待ち受ける。「見せ場」の必要さえ超越しているのだ。だからこそ、高校生が読んでも、杖(つえ)をつく老人が読んでも、あっというまに想像力を牛耳られ、別の場所へ連れていかれてしまう。男の願望を女の肉体にぴたりと同一に重ねてみせる一人称独白体など、だれもかんがえつかなかった、書きえなかった。むしろ超俗。それは、文学と官能をひとつの頂にさだめて登攀(とうはん)しつづけた宇能鴻一郎ただひとりが達した険しい峰のように思われる。

ああっ。はっとして、わたしは飛びあがりそうになった。村田さん、もしやこの文庫を編集なさったとき宇能さんにお会いになったのではありませんか。勢いこんで二十五年もまえの記憶をこじ開けようとするわたしに、村田さんは間髪(かんはつ)を容れず答えたものである。
「ええ、一度だけお会いしました。きれいなかたでした。佇まいがとても清潔といったらよいか」
「きれいなかたでした」と村田さんは繰りかえし、さらに言い添えた。どこで会ったか、なにを話したかぜんぶ忘れてしまいましたが、鮮烈に残っている印象は「清潔感」です。

「ハーブの種蒔(たねま)きの時季になり、宇能鴻一郎の畑仕事が忙しくなりそう」

ちょうど二十年まえの「週刊宝石」に、こんな書きだしではじまるちいさなゴシップ記事がある。畑にフェンネルやセルフィーユなどのハーブを植えて、六月くらいから食卓にのせ、自分で「本場フランス料理」をつくるという。「スズキとかの魚のお腹(なか)にハーブを詰めて、オリーブ油でソテーにする。香りが最高で、これが旨(うま)いんだ」。

食べることがすき。料理がすき。それがふだんの宇能鴻一郎の顔だと知ったとき、意外なような、いや当然のような、じつに複雑な感情をおぼえたものである。食べて味わうこと、料理することは、五官をつかって官能を湧きたたせる悦楽でもあるから。

わたし、おののいたんです。なんとまあ宇能鴻一郎は食のエッセイを書いていた。ネットを検索してようやく手に入ったのが『味な旅 舌の旅』(中公文庫)。単行本は昭和四十三年、日本交通公社刊、昭和五十二年には一部改編して『美味めぐり』とタイトルを変え、KKロングセラーズから刊行されている。

いい。ほんとうに、いい。松島の牡蠣(かき)、庄内のそばや鯰(なまず)、奥久慈(おくくじ)のいのしし鍋、知多沖のたこや車海老(くるまえび)、唐津(からつ)では鯨料理、奄美(あまみ)で黒豚やハブ……旅さきで出合ったすきな味、未知の味をいかにも楽しそうに味わうすがたに情趣がある。おいしさに対して確かな自分の目線があり、駅で啜る一杯のそばにもさらりと愛着を語る。うつわの好みもすこぶる渋い。会津(あいづ)の鰊鉢(にしんばち)に出合って、書く。

沈んだ茶褐色の肌はまったく地味で、農村的で、あらゆる気取りや粋がりとはほど遠い。しかし茶人趣味の厭(いや)らしさもない。さまざまな華やかな色彩の可能性をふくみつつ、しかも可能性のままで抑えているような、静かな謙虚さが感じられるのである

味な旅 舌の旅 / 宇能 鴻一郎
味な旅 舌の旅
  • 著者:宇能 鴻一郎
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(239ページ)
  • 発売日:2010-10-25
  • ISBN-10:4122053919
  • ISBN-13:978-4122053915
内容紹介:
北海道小樽の浜鍋に始まって、松島・庄内・会津と伝統の味を訪ね、水戸では烈女と酒を酌みかわす。京を抜けて山陰から薩摩へ百味を堪能するうちに、たどり着いた奄美で哀愁にみちた八月踊りに触れ―艶筆で知られる才人による、滋味あふれる味覚風土記。

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分厚く四角く、ずしりと重い会津伝統の鰊鉢が秘める魅力を、これほどみごとに言い当てた文章をほかに知らない。

食べものの味わいにやわらかく絡む視線、時間の流れ、気候風土、土地のひととの会話、そして日本文化にたいする造詣(ぞうけい)。旅の情感をまとってたっぷりと豊か、こくのある文章が紡ぎだされる。山陰を歩けば古代神話を思い起こし、雨の大津では『万葉集』を口ずさんで滅び去った大津宮(おおつのみや)への感傷を書く。ひとつずつの旅のなかに、日本と日本人のすがたがゆっくりと浮かび上がる。宇能鴻一郎そのひとの深度をともなって。

たぐってもたぐっても、まだつぎがある。こんな作家を、きょうまでわたしは放擲(ほうてき)していた。不覚にもほどがある。
一箇所だけ、食べることと官能とのかかわりをつい吐露しているくだりがある。

たしかにぼくには自分以外のあらゆる存在を、わが身に取入れたい、熾烈(しれつ)な願望のようなものがある。とりこんだあとの、血と脂にまみれた舌なめずりは言いがたい喜びである。これは侵されることによる侵しであるともいえよう。これとは逆に、他の存在によっていささかでも侵されることを好まぬタイプの人は、食事を必要悪のように考え、食事がおわるや早々と湯茶をのみ、異物に体内に侵入された記憶を消しさろうとつとめる傾向がある。

このとき三十代前半、「血と脂にまみれた舌なめずり」とは、なんとまあ不埒(ふらち)な書きっぷり。宇能鴻一郎はつねに前後左右よけいなものは視界に入れず、自分だけの速度を思うさま疾走していたのだ。

そのひとは、いま。もっとも最近の連載小説は「日刊ゲンダイ」全八十六回「女貝万華教」(めかいまんげきょう、と読みます)。挿画・村上豊(むらかみゆたか)さんとのコンビがなんとも贅沢である。
ついに迎えた二〇〇六年九月二日最終回、その冒頭。

神出鬼没の説教エッチ怪盗。
ある家で主人が手洗いに起きた。と雨戸がギリギリとくり抜かれ、手がニュッと入ってきた。
雨戸の落としを外そうとしてる。
大力の主人はその手首をつかんで引っ張りっこがはじまった。

女貝万華鏡1 / 宇能 鴻一郎
女貝万華鏡1
  • 著者:宇能 鴻一郎
  • 出版社:パブリッシングリンク
  • 装丁:Kindle版(89ページ)
  • 発売日:2010-02-18
内容紹介:
官能小説界の大御所、宇能鴻一郎が贈る傑作短編集。「あたしでよければ、しても、いいんですよ」。顔には自信が無いけれどエッチで魅力的な体のOLとリストラされて行くあてのない元課長。地下… もっと読む
官能小説界の大御所、宇能鴻一郎が贈る傑作短編集。「あたしでよければ、しても、いいんですよ」。顔には自信が無いけれどエッチで魅力的な体のOLとリストラされて行くあてのない元課長。地下道で偶然出会った二人は、そのまま一緒に暮らすことに…。ほろ苦いエロスを描いた「女ひとり」。その他「エッチな社内テロ」「妻の夜バイト(出勤編)」「妻の夜バイト(酒場編)」「みられてエッチ」を収録。

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あれ? おしまいまで読んでも「女貝万華教」の「め」の字もない。官能のぬめりもエロの香りも見つからない。それどころか床屋談義。宇能鴻一郎はただのおっさんになっていた。

わたし、それでもいいんです。そこに「宇能鴻一郎」の五文字があればひそかに疼き、ゆらゆらと揺さぶられてしまう――そんな境地にいざなわれるのだった。昭和から平成へいたる日本をたっぷり悦ばせ、宇能鴻一郎は自分だけひと足先にどこかへ駆けていく。

【この作家論/作家紹介が収録されている書籍】
野蛮な読書 / 平松 洋子
野蛮な読書
  • 著者:平松 洋子
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(264ページ)
  • 発売日:2011-10-05
  • ISBN-10:4087714241
  • ISBN-13:978-4087714241
内容紹介:
沢村貞子、山田風太郎、獅子文六、宇能鴻一郎、佐野洋子、川端康成…海を泳ぐようにして読む全103冊、無類のエッセイ。

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