書評
『大統領たちが恐れた男―FBI長官フーヴァーの秘密の生涯〈上〉』(新潮社)
FBI長官が君臨続けた秘密
FBI長官に何と半世紀近く君臨した男、エドガー・フーヴァー。日本とは異なり政治的任命職が普通のアメリカで、民主・共和両党の政権交代にもかかわらず、終身一つの官庁の長官を務めた例は、フーヴァー以外にない。日本でも辛うじて匹敵するのは、宮内庁長官を四半世紀務めた宇佐美毅ぐらいのものか。それにしても名にし負うデモクラシーの国で、こんなにも長く公職を独占できたこと自体が、アメリカン・デモクラシーのパラドクスに他ならない。著者はノンフィクションの手法をもって、この秘密に迫っていく。まず何よりもフーヴァーの個性と彼が作り上げたFBIという組織とが、ぴたりと重なり合ったことの意味が大きい。フーヴァーとて若き野心家として、時に大統領を時に司法長官を夢見なかったわけではない。しかしルーズヴェルト、トルーマンと数代の大統領に仕えるうち、こうしたより上位の顕職は一時時めくにすぎず、周囲がどのように変わろうともFBI長官にすわり続けることが彼の生きがいとなる。
生涯独身を通しアメリカからほとんど外へ出たことのない孤高の男は、政治家を始めおよそ公職にある人間すべてのスキャンダル情報を、マニアックなまでに集積し秘匿した上で、脅迫の材料に使うことによって、デモクラシーを裏側からコントロールしようと試みた。だが皮肉なことに、彼のコレクションとも言うべきファイルの多くは情報公開法によって今日日の下に晒(さら)されることになった。彼が裏をかいたつもりのデモクラシーによって、彼は手痛い復讐(ふくしゅう)をうけヒーローの座をすべり落ちたという他はない。
同性愛者だった事実の指摘など、著者の幅広いインタヴューから浮かび上がるフーヴァーの実像は、なかなかに面白い。しかしそれ以上に、フーヴァーとFBIにみる情報による支配のあり方は、日本の最近の宗教集団におけるそれを考えるためのヒントにもなろう。水上峰雄訳。
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