書評

『本を読む前に』(新書館)

  • 2020/03/12
本を読む前に / 荒川 洋治
本を読む前に
  • 著者:荒川 洋治
  • 出版社:新書館
  • 装丁:単行本(206ページ)
  • 発売日:1999-08-27
  • ISBN-10:4403210708
  • ISBN-13:978-4403210709
内容紹介:
新人作家の受賞コメントがアイドル歌手の談話が変わらなくなった――なぜ新聞や文芸雑誌に本当のことを書く批評家がいないのか? この国の文学、そして言葉はどうなる?
経済や情報はあっても「言葉」のない現代社会。どんどんとおかしくなっていく文学とその周辺に詩人が放つ、快刀乱麻の辛口エッセイ!
詩人・荒川洋治の『本を読む前に』は、文章を書くことを生業とする者にとって畏るべき一冊だ。

氏は語る。自分にまつわる話をとうとうと書く文学者が増えており、〈陽気というのか。暢気というのか。のうてんきというべきか。そんな文章が多くなった〉と。〈ここはどういう誌面なのか。どういう立場に立てばいいのか。何を書き、何をはぶいたら一般性のある話になるのか。たんなる自慢話や土産話でなくなるのか……など、いろんな角度から、自分の文章を見直す。単調にならないようにする。それができなくなったときは文章そのものが死ぬときだ〉。

氏は語る。新聞で文芸時評をしていると、時折、作家や批評家から「あなたの言う通り。Aの作品は、ほんとはたいしたものじゃないんだ」などと共感を示されることがある。〈そして、思う。そんなに「あの人の作品はよくない」と思っているのなら、実際にそう批評すればいいのだが、彼らはそうはしない。摩訶不思議なことである〉と。様々な利害関係のなかで生きている作家や批評家は、特定の作品に対して本当に〈思っていることを、おおやけの場所で語らない〉。そして〈自分以外の誰かが代わりに言ってくれたらいいのになあ、と心のなかでは思っている〉のだが、そうすると〈空気が悪く〉なり、〈ほんとうは誰一人まともに認めていない小説家が、大きな顔をしはじめるから、文学全体がおかしなものになる〉。

わたしはこの本を読んで、荒川洋治というひとの勇気に感銘を受けた。氏がここに書いていることの多くは、実は出版業界の人間が集まれば、もっと次元の低いトーンではあるものの、ひそひそと語り合われてはいる。が、荒川氏のように真正面からこうした問題を署名記事で問う者は少ない。なぜか。みな、それぞれに生活を背負っているからだ。生活するということは、ひとから少しずつ勇気を奪っていくのかもしれない。そして、「勇気」を「蛮勇」と言い換えて、それを持たない自分を弁護しているのかもしれない。わたしは、そんな自分が恥ずかしい。

さあ、選ぶのはお前たち。この地の王として、空気のような狂気か、それとも勇気ある狂気か。

野田秀樹が書いた脚本を、野田自身と蜷川幸雄が、九九年一二月ほぼ同時期に上演した『パンドラの鐘』には、そんな台詞がある。舞台は太平洋戦争開戦前夜の長崎。遺跡発掘が行われている現場で、考古学者の助手オズは想像力によって、数々の発掘物から歴史の闇に葬り去られていた古代王国の姿を鮮やかに蘇らせていく。兄の狂王を幽閉し王位を継いだヒメ女と葬式王ミズヲの物語。ミズヲが異国で掘り出してヒメ女に捧げた巨大な鐘の謎。二つの時間、二つの空間が、この決して覗いてはならなかったパンドラの鐘を媒介に重なっていく――。

この鐘を埋めるの。私と一緒に、もうひとつの太陽を爆発させる術も息絶える。ミズヲ、(中略)埋めるのがお前の仕事。そして埋められるのが、滅びる前の日の王の最後の仕事よ。これができないものは、葬式王なんて名乗ってはいけない。それができないものは、滅びる前の日に女王などと呼ばせてはいけない。

一九〇〇年代最後の年に、野田秀樹が選んだ舞台が原爆が投下される長崎であることに、そこで語られているのが天皇の戦争責任、いや、もっといえば「『埋めてさしあげて、私を』と言い放てる誇り高き王が不在だったからこそ、原爆は投下された」という戦後のタブーであることに、激しく動揺しない日本人などいないだろう。それを提示する勇気に愕然としない観客などいないだろう。これほどの問題作を怖れることなく上演した二つの劇場、演出した野田氏と蜷川氏の、自由闊達な精神と勇気ある狂気に、わたしは深く胸打たれたのである。野田と蜷川の演出競演――贅沢な趣向をこらした面白イベントみたいに扱われがちだけれど、これはまさしく事件なのだ。どうして、もっと話題にならないのか!? なにゆえに、この優れたテキストをもとに議論百出という状況が生まれないのか!?

荒川氏は語る。〈いま小説を書こうという人たちの心は文学とは離れたところにあるのだろう〉〈これまでごく普通の文学・芸術愛好家の間でも可能だった文学的語らいも、いまの新人作家には望めないのかもしれない。彼らは自作を語るのであり、興味はそれに尽きるのだ。作家はいても、文学の言葉なし〉と。だから、野田秀樹という同時代を疾走する表現者が乾坤一擲(けんこんいってき)の問題作を投げかけても、それに反応しようとしないのではないか。わたしは氏の本を読んで得心がいったのである。

この状況は惨状であるが、それをそれと指摘しにくいほどに、一般的なものとなりつつある。

その責任は若い世代ばかりにあるわけではない。これは文章を書くことを生業とするすべての者が作っている状況なのだ。

【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

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本を読む前に / 荒川 洋治
本を読む前に
  • 著者:荒川 洋治
  • 出版社:新書館
  • 装丁:単行本(206ページ)
  • 発売日:1999-08-27
  • ISBN-10:4403210708
  • ISBN-13:978-4403210709
内容紹介:
新人作家の受賞コメントがアイドル歌手の談話が変わらなくなった――なぜ新聞や文芸雑誌に本当のことを書く批評家がいないのか? この国の文学、そして言葉はどうなる?
経済や情報はあっても「言葉」のない現代社会。どんどんとおかしくなっていく文学とその周辺に詩人が放つ、快刀乱麻の辛口エッセイ!

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初出メディア

カエルブンゲイ

カエルブンゲイ 2000年2月14日号

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