前書き
『舶来文学 柴田商店―国産品もあります』(新書館)
序
横浜の波止場から船に乗って、赤い靴はいてた女の子が異人さんに連れられて行っちゃった国は、ほとんどあの世のように、はてしなく遠い世界に思える。「母が心に抱いていた大きな綺麗なチョコレットのペーパーボクス/船乗りだった父が洋行帰りに持ち帰ったハクライの函……」とあがた森魚が語るとき(「永遠のマドンナK」)、その父はほとんど異界からの帰還者のように聞こえるし、チョコレットのペーパーボクスも竜宮城の玉手箱と同じくらい神秘的な魅惑を備えている。
いうまでもなく、今日ではそういう遠さの感覚も神秘性も失われてしまっている。「異人さん」も「洋行帰り」もとっくの昔に死語になってしまった。輸入盤のCDは当然国産品より安く、格安航空券を活用すればふらんすへ行く方が下手をすると背広を新調するより安いかもしれない世の中だ。
そういう世の中で、「舶来」などという概念はとっくにすたれてしまった。「舶来品」という言葉にこもっていた、憧れと畏敬の念のようなものはもうなくなっている。まあたしかに、ドイツ製の万年筆、英国産のコート、フランス発の現代思想といった個々の品には、まだある程度の憧れが残っているかもしれない。でも「舶来品」全体を包んでいたオーラはもう消えている。特に、アメリカ製の品となれば、日本製より安くて当たり前という感じで、渋谷あたりではヘインズのTシャツなど三枚一組の恒久的バーゲン品として店先に山と積まれている。かつては大枚はたいて海外旅行へ行って、買ってきたみやげ物をよく見たらMADE IN JAPANと書いてあってがっかりした、というような話がよくあったが、いまでは逆に、東京で何かを買うときに、それが中国製でもアメリカ製でもなく日本製であることが、「高級品」のしるしであったりする。
今日から見て、「舶来」という言葉で何よりきわだつのは、その臆面もない西洋中心主義だろう。東南アジアやアフリカで作られた製品を、「舶来品」とは呼びづらい。あくまでヨーロッパ、アメリカから「舶(ふね)」に乗って「来」た品が「舶来品」なのだ。「舶来」を支えているのは、西洋-日本-第三世界という三層構造である。
むろん、「舶来」という言葉がなくなったからといって、西洋-日本-第三世界の三層構造まで一緒になくなったわけではない。日本人全員を十把ひとからげにして言うことはできないが、西洋に対する、ほとんど本能的な憧憬と劣等感は、多くの人の意識からそう簡単には消えないだろう。でも、たとえばワールドミュージックの隆盛とか、大学の第二外国語で中国語を選ぶ学生が急増していることなど、そうした三層構造のゆらぎを予感させなくもない現象も一部には見えている。そして、そのような流れを正しいと我々は感じる。違ったものをタテに並べて、実は固有の価値観の産物でしかない優劣を定めるよりは、それらを文字どおりヨコ並びにして、ただとにかく「違った」ものとして受け入れる方が正しいに決まっている。
そういう流れのなかで、相も変わらず「舶来」をありがたがっているかのように現代アメリカ文学の紹介・翻訳に努めている自分はいったい何をしているんだろう、と思うことがときどきある。「正しい」流れにまるで逆行してるんじゃないだろうと。これがたとえば、アメリカ式自由の理想の欺瞞の犠牲者となってきた黒人やインディアン(特に女性)の文学を紹介するというのならまだわかる。ところが僕がこれまで訳してきた作家は、ほとんど白人男性だ。かならずしもアングロ=サクソン系超主流派ではないが、さりとて、少なくとも合衆国内ではなはだしい差別を受けてきた民族に属す人たちではない。こんなふうに、ひたすら白人男性の文化的権力強化に奉仕してきたような人間は、いわゆる政治的な正しさに敏感なアメリカだったら、保守反動の権化として、火あぶりにされたのち豚に死骸を食わせてしかるべき、などと言うのは豚に対して政治的に正しくないかもしれないから取り消すが、とにかく袋叩きにあってしかるべきなのである。
もちろん、僕だって何も、「舶来」なら何でもありがたいと思っているわけではない。ここ数年、現代アメリカ小説の翻訳・紹介に努めてきたけれども、べつに現代アメリカ小説の全体像を伝えようというような使命感はまったくなく、ただ自分にとって「よい舶来」と思えるものを訳してきた、ということに尽きる。要するに、よい国産もあれば悪い国産もあり、よい舶来もあれば悪い舶来もあり、よいアジア・アフリカ製もあれば悪いアジア・アフリカ製もある。そして何がよくて何が悪いと思うかは個々人によって違うから、それぞれの人が自分がよいと思うものの宣伝に努めればいい――そういう予定調和説を、僕はとりあえず信奉している。
主として日本語で書かれた本、日本語に訳された本の書評を集めたこの本は、そういう意味で、僕にとってよいと思える国産品や舶来品を(よいアジア・アフリカ製がなくてごめんなさい)あちこちから仕入れてきて雑貨店ふうに並べてみた、という感じである。あんまりまとまりのない本かもしれませんが、狭い店内にいろんな品物をごっちゃに並べた店を見て回るみたいに気の向いたところから拾い読みしていただき、お好きな品を見つけていただければ光栄である。
ALL REVIEWSをフォローする





































