選評
『忘れられる過去』(朝日新聞出版)
講談社エッセイ賞(第20回)
受賞作=荒川洋治「忘れられる過去」、酒井順子「負け犬の遠吠え」/他の選考委員=東海林さだお、坪内祐三、林真理子/主催=講談社/発表=「小説現代」二〇〇四年十一月号豊かな収穫
エッセイの正体とは、自慢話をひけらかすことだと定義したことがあります。ただし、自慢たらたら書いてしまうと、その臭味に読者はたちまち鼻白んでしまう。そこで、どう臭味を抜くか、自慢話であることをどう隠すかが勝負の要(かなめ)、ただその一点に、エッセイの巧さ下手さが現われます。荒川洋治さんの『忘れられる過去』は、わたしはこの本をこう読んだ、わたしはこんな人のことを知っている、わたしはこんなことまで考えている、どうだまいったかという自慢を、俗臭の欠(かけら)もない透き通った文章で、それでいて人間存在のじつに深いところにまで届くしなやかな文章で、みごとに隠し果(おおせ)ています。一気に読んでは損、気長に味わって読んだら得。これは現代散文の達成の一つではないでしょうか。
酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』は、卓抜な定義集です。負け犬、オタ夫、イヤ汁、可哀相な小羊ちゃんヅラ、人生たられば劇場など、愉快で奇抜な定義を連発しながら、現代女性の生き方を軽快に描写して行くので、わたしは理由があって負け犬をしているのよ、どうだまいったかという自慢は、すっかり消えてしまいました。古風な骨格を持つ文章と古くさい漢字の使い方に、こういった奇抜な定義がくっついて、独特の諧謔味(かいぎゃくみ)が生まれてもいます。こうして幾重にも臭味を抜いたせいで、愉快な、しかし鋭い社会分析をたくさんに盛った一冊が誕生しました。二作とも、今年度エッセイの豊かな収穫として誇るべきものと考えます。
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