日本の神話の世界では、死者の行く黄泉の国は、地上世界とつながった比較的身近なところにある。仏教が導入されてからは極楽浄土の観念が支配的になるが、これも西の方に、つまり水平方向にイメージされる。西欧世界に大きな遺産を残した古代ギリシャにおいても、死んだ妻エウリディケを求めて冥府に赴くオルフェウスの物語や、一年のうち半分は地上で、半分は冥府で暮らすプロセルピーナの神話に見られるように、死者の国は地上世界とつながっている、方向性の持つ象徴的価値という点から言うなら、上と下よりも右と左の二項対立の観念の方が強い。この考え方は、キリスト教世界にも受け継がれて、中世に数多く作られた「最後の審判」 において、選ばれた者はつねに神の右側に、呪われた者は必ず神の左側に位置するという構図が定着した(英語の right が「右」と同時に「正しい」を意味するのは、その名残である)。しかしそれと同時に、それぞれ上方と下方という方向性がつけ加えられたのである。フランスの中世史家ジャック・ル=ゴフも、このことを次のように述べている。