原爆文学、世界での受容示す
8月6日と9日。原爆が投下された夏がやってくる。原爆や核兵器を、日本語を使って文学として表現してきた人は多くいる。原民喜、峠三吉、大田洋子、井伏鱒二、林京子。あるいは大江健三郎や小田実。他にもたくさんの文学者が、直接的な経験の有無を問わず、原爆に向き合ってきた。
だが彼らの文学がどのように読まれているのか、特に日本語以外の言語圏でどう受容されているのか、わからなかった。
著者のジョン・W・トリートは日本文学研究者。イェール大学で教鞭をとっている。日本の原爆文学に関する著書も幾つかある。この分厚くて高価な本の原著は1995年に出版されている。ようやく海外の原爆文学の評価を読む機会を得た。
この本を読んでいて、いちばん驚いたのは(考えてみれば当たり前のことだが)、トリートが実に日本の原爆文学に詳しいということであり、場合によっては同人誌レベルまで小説を読み込んでいることだ。膨大な作品読解が、この書物の背後にはある。原爆文学はすでに日本文学ではない。世界文学の中に確固とした位置を占めているのだ。水島裕雅ほか監訳。