コラム

種村季弘とマニエリスム美術

  • 2017/11/13
世紀転換期前後のドイツ・ユーゲントシュティールへの問題意識は、氏自身の『ヴォルプスヴェーデふたたび』(筑摩書房、一九八〇年)という著作において鮮明なかたちをとる。比較的論評されることの少ないこの著作こそ、私は氏の代表作といわれるにふさわしいのではないかと感じている。ハインリヒ・フォーゲラーと彼を中心とする芸術家コロニーの帰趨を追ったこの著作は、氏の仕事のなかでも珍しくパセティックな調子を帯びた力作である。それは、氏がヴォルプスヴェーデをめぐる執拗な記述に打ち興じながら、そこにわが国の大正・昭和初期の擬似コロニー運動との平行関係を暗示することを忘れていないからだ。「日本の浮世絵の決定的な影響下に出発したユーゲントシュティールのコロニー運動は、源泉たる日本の大正時代にある共鳴を波動させた」と氏は書いている。パセティックな調子は、この内に秘められた自己言及性に由来するのかもしれない。いずれにせよ、理想と現実、東と西、旧と新、個と集団、自己と他者、精神と肉体といったさまざまな二元論に引き裂かれる実存を歴史的状況との関わりにおいて浮き彫りにする筆致こそ氏の真骨頂にほかならず、それは氏がマニエリスム概念の説明にあたって、理性的言語ならぬ「かすかな兆(きざし)」としての「筆跡(ドウクトウス)」を問題にする「表現学」に触れていることと無関係ではないはずだ。氏の『ヴォルプスヴェーデふたたび』は、紀行文学の形式を借りた一種の「表現学」の試みといってもいいかもしれない。

氏のもうひとつのまとまった美術論『魔術的リアリズムス――メランコリーの芸術』(PARCO出版、一九八八年)は、これもまた氏の仕事のなかでは比較的論評されることの少ないように思われる、わが国の美術史的言説の流れから頭ひとつ抜け出た孤立した力作である。ドイツ一九二〇年代のリアリズム、しばしばノイエ・ザハリヒカイト(新即物主義)と呼ばれる「魔術的リアリズム」についての総体的研究は、後にも先にもわが国にはこれしか存在しないのである。氏は二〇年代ドイツのノイエ・ザハリヒカイトを「各時代にくり返し現われる精神的常数」としての「魔術的リアリズム」の「一局面」と見ている。ホッケのいう「原身振り」の、あるいはドールスのいう「常数(アイオーン)」の語り直しといってもいい。要するに、これは一種のマニエリスム論とみなされえよう。「世界関連から切りはなされて、いきなりそこにあるもの。その輝き」と氏は書いている。ゲオルク・グロッス、オットー・ディクス、クリスティアン・シャート、カール・グロスベルク等、いまではややポピュラーになったかもしれぬとはいえ、まだまだ一般的には知られていない画家たちの作品についての氏の記述は、簡にして要、まことに生彩に富む。

のちに私が『廃墟大全』(トレヴィル、一九九七年)という論集を編んだ際、氏が寄せてくれた「真新しい廃墟――ノイエ・ザハリヒカイトの廃墟画」という文章は、この書物の応用篇といっていい。ここで扱われたオランダのカレル・ウィリンクの作品に、その後、私はたまたまロッテルダム美術館で遭遇することになった。奇妙なアイロニーをたたえたウィリンクの作品について、氏は「廃墟は笑い、笑わせる。泣かないし、泣かせない」と書いた。このあとに氏はローラン・キャットの名に触れているが、現代フランスのこの廃墟画家については、氏自身の文章が『ユリイカ臨時増刊 禁断のエロティシズム』(青土社、一九九二年)に収められている。これについて私は氏といささか交渉をもつにいたって、そのことを氏自身が書いてくれているが、この文章は、最近編まれた「美術稿集成」としての『断片からの世界』(平凡社、二〇〇五年)には残念ながら収められていない。まことに惜しい。

廃墟大全  / 谷川 渥 (編集)
廃墟大全
  • 著者:谷川 渥 (編集)
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(301ページ)
  • 発売日:2003-03-00
  • ISBN-10:412204183X
  • ISBN-13:978-4122041837
内容紹介:
戦争、災害、バブル崩壊に続くデフレ不況…。全世界に廃墟が再生産される一方で、郷愁や無常観を誘う対象として注目を集めている。無定形な時代が続く現在、文学、美術、建築、映画、写真、アニメに登場する無数の廃墟群を16人の気鋭の研究者が脱領域的に横断、徹底検証する。時空を超えて妖しい魅力を放って已まない廃墟の本質に迫った異色の評論集。

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氏のまなざしは、しかしもとより西洋にばかり向けられているわけではない。すでに一九七一年に「マニエリストの精神的血族」伊藤若冲について、すばらしい文章を書いている。若冲の画面の「一種の奇妙な正面性」を指摘し、その「反中心的=エキセントリック」な「多形的倒錯」を論じるところなど、氏の該博な知識に裏打ちされた美術論の面目躍如たるものがある。近代以前の画家については、たぶんこの若冲論だけで、あと氏はわが国の同時代の画家たちについて、おびただしい文章を書いた。多くは『奇想の展覧会 戯志画人伝』(河出書房新社、一九九八年)に収められたが、洩れたものは『断片からの世界』に拾われたはずだ。私が編む機会を得た『澁澤龍彥同時代芸術論集 天使たちの饗宴』(河出書房新社、二〇〇三年)に集った画家たちと比較してみることもできるだろう。貴重な交遊録であることは間違いない。いずれにせよ、同時代の画家たちにも氏がマニエリスムの眼鏡を用いたことは明らかで、そこにどのような温度差があるかは、各自で確かめるに如くはないだろう。

氏が同時代で理屈抜きに心惹かれたのは、少なくとも西洋ではハンス・ベルメール、ホルスト・ヤンセン(『画狂人ホルスト・ヤンセン』平凡社、二〇〇五年、参照。私も文章を寄せている)、そしておそらく誰よりもファブリツィオ・クレリチ、そのあたりではあるまいか。私は勝手にそんな風に推測している。

マニエリスム、それはしかしすべてを解決する魔法のキーワードではない。それはもともと世界崩壊の危機の認識のなかから生み出されるにいたった、ぎりぎりの芸術概念であるはずだ。バロックとの関係もなお議論の余地がある。マニエリスム概念への安住こそ、いわばもっとも反マニエリスティックな行為だろう。その意味で氏の訳業と著作は、読み返されねばならない。

【このコラムが収録されている書籍】
種村季弘  /
種村季弘
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(192ページ)
  • 発売日:2006-01-11
  • ISBN-10:4309740065
  • ISBN-13:978-4309740065

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【このコラムが収録されている書籍】
書物のエロティックス / 谷川 渥
書物のエロティックス
  • 著者:谷川 渥
  • 出版社:右文書院
  • 装丁:ペーパーバック(318ページ)
  • 発売日:2014-04-00
  • ISBN-10:4842107588
  • ISBN-13:978-4842107585
内容紹介:
1 エロスとタナトス
2 実存・狂気・肉体
3 マニエリスム・バロック問題
4 澁澤龍彦・種村季弘の宇宙
5 ダダ・シュルレアリスム
6 終わりをめぐる断章

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