種村季弘ラビリントス
広大な知の地平をあらためてまざまざと浮かび上がらせてくれる
七百ページに及ぶ恐ろしく大部の本である。昨年、諏訪哲史編『種村季弘傑作撰』全二巻(国書刊行会)が出たばかり。まだ種村季弘本が出るのか!と思いきや、こちらは「種村季弘単行本未収録論集」と銘打たれている。諸種の雑誌に発表されながら単行本に収められなかったものが、まだこんなにもあったわけである。いや、どうやらこれでもすべてではない。「日本文学、映画、美術といったジャンルの未収録作品も少なからずある」と、「解題」(齋藤靖朗)にいうように、おそらく同じような書物がもう一冊編めるほどに残されているかもしれない。ともかくすさまじい執筆量である。かつて種村さんは私に一日八十枚が最高記録だと語ったことがある。四百字詰原稿用紙八十枚! 不肖私も猛烈に書いて一日三十枚と記憶するが、いやはや八十枚には及びもつかない。
驚くべきは、もとより量だけではない。種村さんがみずからの意思で単行本に収録しなかった理由はいろいろあるだろうが、それにしても本書を構成するエッセイ群は、どれもこれも十分に質が高く、そしておもしろいのである。一九六〇年代から二〇〇〇年代までの長短さまざまなエッセイは、稀代の人物が築き上げた、まさに種村ワールドあるいは種村ラビリントスとでも呼ぶほかはない広大な知の地平をあらためてまざまざと浮かび上がらせてくれる。本書は種村季弘の膨大な仕事の全体像を縮約したかたちで見せてくれる、いわばガイドブックのような役割を果たすだろう。
全体は九章に大別される。「解題」の表現を借りるなら、Ⅰドイツ文学に関わるもの、Ⅱブックガイド、Ⅲ博物学周辺の表象文化をめぐるエッセイ、Ⅳエロティシズムをめぐるエッセイや書評、Ⅴ吸血鬼から怪談まで恐怖というテーマ、Ⅵテクノロジーにかかわる技術者たち、Ⅶ幻想の土地、宇宙、ユートピア、終末後の世界などの空間をめぐるエッセイ、Ⅷバロック、マニエリスム、シュルレアリスムに関する文章、Ⅸ宗教、原型、権力をめぐる人文科学分野のエッセイや書評、という具合である。
未読のものもずいぶんある。冒頭に置かれた「夢記」が珍しくも貴重である。死後二年目の二〇〇六年に発表されたものらしいが、種村さんはこんな文章も書いていたのか。「プロローグ」に収められた「落魄の読書人生」もおもしろい。どうやら河合塾での講演の記録のように思われるが、「没落」とか「滅亡」とか「落魄」とかを語るとき種村さんの口調はじつに生き生きとする。そういえば『楽しき没落』という本もあった。「まぁ、落魄っていうのは、一度成金にならないと落魄じゃないんだけどね」というのが、この講演の結びである。
全九章のうち、個人的にはⅠのドイツ文学関係のエッセイがさすがにおもしろかった。種村季弘の真骨頂は、やはりドイツ文学者たることにあると思う。なかに「『ホンブルク公子』と病める言語」という長い論文がある。ハインリッヒ・フォン・クライストの戯曲を扱っているのだが、註も付いていて、やけに堅い。これは「駒澤大学文学部紀要」(一九六五年)に発表されたもので、種村さん三十二歳の折のまさしく若書きの論文である。こんな時代もあったのだなと感じさせる、これも貴重な資料である。
Ⅵに収められた「神話の中の発明家」という文章も、私は未読だった。『怪物のユートピア』(一九六八年)、『怪物の解剖学』(一九七四年)に始まり、『畸形の神 あるいは魔術的跛者』(二〇〇四年)に終わる、その仕事を目して、かつて私は、「それにしても、怪物論から出発したといっていい種村さんの最後の書物が畸形論だというのも、なにやら考えさせられるではないか」と書いたことがある。ところがくだんの文章は、種村さんの遺著のまぎれもない原型であることがわかった。一九八五年の日付をもつ。怪物・畸形の問題を、種村さんはずっと抱えていたわけである。
「エピローグ」は、「災害解釈の精神史」である。「クライストの地震小説について」という副題をもつこの論文は、私にとっていささか思い出となるものだ。というのも、あるとき種村さんから『地震ジャーナル』(一九九七年十二月)という雑誌がぽろっと送られてきた。「地震予知総合研究振興会」の発行である。いったい何だろうと開けてみたら、そこに種村さんの論文が掲載されていたのである。種村さんが雑誌を送ってくるなど、絶えてなかったことだ。相当の思い入れがあったに違いない。そのことに本書を読みながら私はあらためて気づかされた。クライストの小説『チリの地震』の背景にある一七五五年のリスボン大地震をめぐるヨーロッパ知識人の「災害解釈」を扱ったこの論文は、十数年後のわが国の「災害」をも射程に入れていたかのような恐るべき予言の様相を帯びている。種村季弘の凄さをつくづく感じさせる論文だ。
これを最後にもってきたのも編集の妙というものである。