書評

『ユイスマンス伝』(学習研究社)

  • 2022/02/05
ユイスマンス伝 / ロバート バルディック
ユイスマンス伝
  • 著者:ロバート バルディック
  • 翻訳:岡谷 公二
  • 出版社:学習研究社
  • 装丁:単行本(603ページ)
  • ISBN-10:4054007244
  • ISBN-13:978-4054007246
内容紹介:
奇書『さかしま』を経て、錬金術、薔薇十字、悪魔礼拝に傾斜。その後カトリックに回心、『出発』『大伽藍』へと至った19世紀末の仏作家ユイスマンス「謎の人生」を、膨大な「書簡・日記」を駆使して再現した、世界初の画期的評伝。

ロバート・バルディック『ユイスマンス伝』を読む

ジョリス・カルル・ユイスマンスの『さかしま』(一八八四)は、一九六六年に桃源社の「世界異端の文学」シリーズの一冊として澁澤龍彦の訳で出た。高校生だった私は、そのなかに「頽廃的な学究生活に喜びを見出す、自分と同じような知性」という言葉を発見し、一も二もなく「頽廃的な学究生活に喜びを見出す」、そういう人間になりたいと思ったものだった。そうした思いは、もちろん私ひとりのものではなく、ユイスマンスを、あるいは訳者の澁澤の著作を読んだ若者の誰もが多少とも共有したものだったにちがいない。

その後、田辺貞之助訳で次々と公刊されたユイスマンスの著作群を読み進んでいくうちに、私の無条件のユイスマンス熱も徐々に冷めていった。というよりむしろ、『さかしま』の主人公デ・ゼッサントとユイスマンス自身との間に介在する微妙な距離が、作家の著作活動にどのように反映され展開されていくかということを知るに及んで、もう少し冷静に作家の全体像を把握する必要に気づかされたといったほうが正確だろう。

『さかしま』を読んで、「あなたにはもはやピストルか十字架の下しかゆく道はない」といってのけたのは、バルベー・ドールヴィイである。ボードレールに対する予言でもあったこの言葉は、またユイスマンスにたいしてもそっくりそのまま適用された。そしてドールヴィイの予言どおり、ユイスマンスはカトリシズムに改宗する。『さかしま』以降、『彼方』(一八九一)、『出発』(一八九五)、『大伽藍』(一八九八)、あるいは『献身者』(一九〇三)といった著作を通して、ユイスマンスは神秘神学からカトリシズムへと傾斜していくおのれの心情をあますところなく描出している。

とはいえ、いまひとつはっきりしなかった。ユイスマンスの実生活がよく見えなかったからだ。邦訳の出たロバート・バルディックの五百ページを越える大著は、このよく見えなかった部分を隈なく照らし出す文字どおりの労作である。

原著は一九五五年、英語で出ている。イギリスの若き仏文学者の処女作である。弱冠二十八歳のときの刊行だが、邦訳(岡谷公二訳、学習研究社、一九九六)は一九五八年の仏訳版による。新たな資料にもとづいて加筆された増補決定版との判断からである。その後、ずいぶんユイスマンス研究は出ているけれども、いまなお真先に引かれる伝記であることに変わりはない。ユイスマンスの遺言執行人リュシアン・デカーヴによれば、作家は書簡と個人的文書の公表を禁じたという。これらは、一九四九年のデカーヴの死後、はじめて公表されるようになった。バルディックの大著は、そういう経緯のもとに成立した。

オランダ人を父親にもつユイスマンスは、八歳のときにその父を失う。再婚したフランス人の母は、二人の異父妹をもうけた。みずからの生い立ちについてほとんど語らぬユイスマンスだが、ボードレールとは同じではないにしても、やはり深く傷つき、孤独への嗜好を培ったことは間違いあるまい。著者は、こうしてユイスマンスの人生の歩みを気負うことなく、むしろ淡々とした筆致で、しかし考えられるかぎり細かな点にいたるまで再現していく。女嫌いとみなされている作家が、それでも愛人をもち、その愛人が精神を病んで病院に入れられて死に、あるいは晩年になってからも若い女性にいいよられるなど、けっこう女と現実的な関わりをもったことも教えられる。

あるいは、これもデ・ゼッサントと同じように人嫌いで、「洗練された隠遁所(テーバイド)」をひたすら求め続けたと思われているユイスマンスだが、にもかかわらずいろいろな人たちと友達になり、そして実に心やさしく対応した繊細な精神であることも知らされる。内務省に勤める役人として一定の収入を保証されてもいたからだが、レオン・ブロワやヴイリエ・ド・リラダンやポール・ヴェルレーヌに対して、彼が示した心遣いは感動的ですらある。もっとも、ブロワなどはユイスマンスからいちばん金をねだりながら、最後は彼を悪しざまにいうようになるのだが。

ユイスマンスは、『薬味箱』という散文詩集を一八七四年に自費出版することから、作家として出発した。しかし彼は、エミール・ゾラの自然主義を擁護する最初のマニフェストといってもいい文章を書いて、ゾラの弟子とみなされた。二人の「師弟」関係は、一八八四年の『さかしま』刊行をもって事実上解消されるけれども、著者はユイスマンスがゾラの疑似科学理論など全く尊重していなかったこと、そしてユイスマンスにとって自然主義とは「現実の辛抱強い研究であり、細部の観察によって得られた全体」にすぎないことを強調する。その意味では、ユイスマンスは、ゾラ流の自然主義に身を寄せようが寄せまいが、一貫して変わらなかったともいえるわけである。ただ、彼のいう「現実」が、通常の「現実」とはいささか異なっていただけだ。それは、彼がカッセルで見たマティアス・グリューネヴァルトの《キリスト磔刑図》に関して述べたように、やがて「超自然主義」「超自然的写実主義」、あるいは「心霊的自然主義」の様相を帯びていく。

印象的なのは、ユイスマンスがジョゼフ=アントワーヌ・ブーランという元神父との交友を通じて、ずっと悪魔の実在や干渉を信じ、脅え続けたらしいことである。一方でユイスマンスはアルッチュール・ミュニエ神父に心の救済を求めもした。「黒」と「白」へのこのアンビヴァレントな態度が、彼を二度にわたって修道院に赴かせ、あるいはジャーナリズムの揶揄を買わせることにもなるのだが、ユイスマンスにとっては笑い事ではなかった。結局、彼はリギュジエのベネディクト会の修道院のそばに土地を買って、そこに一種の芸術家共同住宅のようなものを建てることになる。あの「洗練された隠遁所」の帰結になるはずだったこのノートル=ダム荘も、しかし放棄されて、ユイスマンスはパリに戻る。

パリに戻ったユイスマンスを待ちうけていたのは、猛烈な歯と顎の痛みだった。口腔ガンに冒されていたのだ。モルヒネを打とうとする医者にユイスマンスは「あなた方は、私が苦しむ邪魔をなさるんですか! 神が与えて下さった苦痛を、地上の忌わしい楽しみに変えようとなさるんですか」と叫んだという。

最晩年の著作『スヒーダムの聖女リドヴィナ』(邦訳名『腐爛の華』)の主人公のように、ユイスマンスはおのれの肉体を腐爛させながら、その眼差しは神のほうを向いていたのだ。病的な感受性と孤独への欲求、人間の凡庸さに対する憎悪、新しく複雑な感覚の追求によって特徴づけられるデ・ゼッサントの行きついた苦悩の姿だった。苦悩の生の歩みのうちに「隠遁所」を求め続けた作家は、そうしてようやくおのが願望を実現しえたのかもしれない。

こんなにも大部の貴重な書物の刊行を実現した訳者、編集者、書肆に敬意を表したい。

【この書評が収録されている書籍】
イコノクリティック―審美渉猟 / 谷川 渥
イコノクリティック―審美渉猟
  • 著者:谷川 渥
  • 出版社:北宋社
  • 装丁:単行本(297ページ)
  • ISBN-10:489463032X
  • ISBN-13:978-4894630321
内容紹介:
美学と批評を架橋すること―絵画、彫刻、写真、映画、詩、小説など、多様な“美的表象”を渉猟する美学者の、アクチュアルな批評論集。美と知の地平を博捜するリヴレスク・バロック第二弾。フランス文学者・鹿島茂との“書痴”対談収録。

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ユイスマンス伝 / ロバート バルディック
ユイスマンス伝
  • 著者:ロバート バルディック
  • 翻訳:岡谷 公二
  • 出版社:学習研究社
  • 装丁:単行本(603ページ)
  • ISBN-10:4054007244
  • ISBN-13:978-4054007246
内容紹介:
奇書『さかしま』を経て、錬金術、薔薇十字、悪魔礼拝に傾斜。その後カトリックに回心、『出発』『大伽藍』へと至った19世紀末の仏作家ユイスマンス「謎の人生」を、膨大な「書簡・日記」を駆使して再現した、世界初の画期的評伝。

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初出メディア

週刊読書人

週刊読書人 1997年1月10日

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