書評

『棒馬考―イメージの読解』(勁草書房)

  • 2022/03/09
棒馬考―イメージの読解 / E.H. ゴンブリッチ
棒馬考―イメージの読解
  • 著者:E.H. ゴンブリッチ
  • 翻訳:横山 勝彦,谷川 渥
  • 出版社:勁草書房
  • 装丁:単行本(400ページ)
  • ISBN-10:4326850965
  • ISBN-13:978-4326850969

ゴンブリッチの美術論――『棒馬考』について

『棒馬考』(一九六三、増補完訳、勁草書房、一九九四)は、論文や講演の文章など十四篇を収めたエルンスト・H・ゴンブリッチの美術論集である。

書名は、冒頭の論文「棒馬 あるいは芸術形式の根源についての考察」から採られている。

「棒馬」(Hobby Horse)とは、ほうきの柄の本体に、彫刻された馬の頭の部分を付けたもので、子供がそれにまたがって遊ぶ道具のことである。馬の「外形」を模倣したものではない。それは馬の描写(ポートレイヤル)ではなく、馬の代替物である。同様に、権力者の墓に埋葬されている粘土製の馬や召使いも生者の代理である。偶像も神の代わりをしている。それが特定の神の「外形」を表象しているのか、それともダイモンの類の「外形」を表象しているのかといった問いは、まったく不適切である。これらの例において、結局問題になっているのは形よりも機能である。棒馬の場合には、乗ることのできる物体としての最低限の要件をみたす形体面があれば馬としての役を演じることができるわけである。

棒馬は、もちろん芸術ではない。とはいえ、棒馬の考察から得られる代替(substitution)の機能という考え方は、芸術上の再現=表象(representation)の意味を再考する上でまったく新しい視点を提供しうるだろう。

本書の序文においてゴンブリッチは、「抽象」と「表現」が二十世紀の芸術批評の二つの主要な争点であると述べている。「抽象(アブストラクション)」は「具象(リプレゼンテイション)」という対概念をもち、「表現」は自己の表現と時代の表現という観念に連動するが、『棒馬考』という書物の全体は、まさにこうした問題を扱っている。個々の論考は、「芸術形式の根源」や「中世美術」や「ロマン主義時代」のように過去に及ぶことがあるとしても、本書は総じてアクチュアルな現代美術論であるといっていい。

「棒馬」のような非芸術に視点を据えて芸術上の考察に思いがけぬ展望を開くのは、ゴンブリッチのいわばおはこであるが、本書にはさらに「相貌的知覚について」、「ロマン主義時代における図像表現(イミジャリ)と芸術」、「風刺漫画家の兵器庫」のような、ほぼ同様の手続きによる論考が含まれている。犬や豚の尻尾、あるいはお下げ髪の「表情に富む(イクスプレッシヴ)」表象が「相貌的知覚」の孕む問題を浮き彫りにし、ロマン主義時代の風刺的政治版画が同時代の絵画の特性に光を当て、あるいは十六世紀以来現代に至るまで風刺漫画がシンボルの使い方の考察に恰好の例を提供するという具合である。

「抽象」と「具象」という二元論が、いかに素朴な危うい議論の上に成り立っているかを、こうした論考はその都度教えてくれるだろう。

これと関係するのが、「表現(イクスプレッション)」という観念の批判である。「芸術と伝達」という論考においては、芸術は感情の言語であるとするロマン主義的な見解が、「アンドレ・マルローと表現主義の危機」においては、マルローの美術論のうちに潜む表現主義理論が俎上にのせられる。純粋な「表現」などというものはないということだ。「芸術上の価値の視覚的隠喩」は、芸術において視覚的特質はいかにして道徳的価値の等価物として経験されているかという問題を扱いながら、シンボルと徴候(シンプトム)を混同することを戒めている。

この「芸術上の価値の視覚的隠喩」という論文には、「芸術」と「趣味」の関係をめぐる興味深い考察が含まれているが、これは「精神分析と美術史」の内容にもつながる。「趣味」とは「味覚」であり、「味覚」とは舌で味わうことであるが、そこには口唇モデルによる印象主義の分析など、かなり斬新な指摘が見出せるからである。

ゴンブリッチは、一九〇九年にウィーンに生まれ、ウィーン大学でウリウス・フォン・シュロッサーらに美術史を学んだ。一九三六年にロンドンのウォーバーグ研究所へ移り、所長フリッツ・ザクスルのもとでヴァールブルクの論文の整理編纂の仕事などに従事。その成果は、後年、『アビ・ヴァールブルク伝』(一九七〇、邦訳、晶文社、一九八六)となって現われる。一九五九年から七六年まで同研究所の所長を務めた。

ウィーン時代にウィーン美術史博物館のエルンスト・クリスのカリカチュア研究を手伝った経験は、ゴンブリッチに小さからぬ影響を与えたようだ。そのことは、本書における漫画や政治版画の取り扱いに窺われるだけではない。精神分析や、それと連動するシンボルやメタファーへのこだわりも、遡ればその時代に胚胎したと考えられるのだ。

図像解釈学(イコノロジー)の衣鉢をつぐ稀代の美術史家であることは間違いない。ヴァールブルク、パノフスキー、ザクスル、そしてゴンブリッチ……。しかしゴンブリッチは、『シンボリック・イメージ』(一九七二、邦訳、平凡社、一九九一)に収められた「イコノロジーの目的と限界」という論文において、パノフスキー的なイコノロジーに対して冷静な距離を置いている。ゴンブリッチは、結局、絵画作品から過剰な意味をとり出すことを戒め、作品の「志向(意図)された意味」をめざすべきだとして、当の作品がたとえば祭壇画、聖使徒伝画、神話画、寓意画といったジャンルのいずれに属するものかを確認することが第一に必要な仕事だと述べている。

それにしてもゴンブリッチのイコノロジーは野心的である。知覚心理学、情報理論など認知科学、精神分析、記号や象徴に関する理論、あるいは社会学的考察などを援用することによって、イコノロジーの「限界」はむしろやすやすと破られてしまったようにも見える。少なくとも、パノフスキー的な「意味の三層」にこだわる必要はもはやない。ゴンブリッチのイコノロジーは(それがなおイコノロジーという名称を要求するとすればの話だが)、多面的かつ立体的である。

作品を、ある文脈ないし関係性において考察する点で、ゴンブリッチを文脈主義者と見ることもできる。知覚にこだわり、知覚から意味の発生する現場を押さえ、知覚を規定する図式を探り、認識の成立を問おうという点で、知覚主義者ということもできる。

ちなみに、「新美術史(ニュー・アート・ヒストリー)」の旗手のひとり、ノーマン・ブライソンなどは、ゴンブリッチを端的に「知覚主義者」と呼んでいる。『芸術と幻影(イリュージョン)』(一九六〇、邦訳、岩崎美術社、一九七九)に詳論されたゴンブリッチの「絵画的表象の心理学的研究」なるものは、レノルズ、ラスキン、ヒルデブラント、ヴェルフリン、リーグルと続く知覚主義の伝統の最先端に連なるというのである。ブライソンの批判をここで検討する余裕はないが、いずれにせよゴンブリッチの美術論にどういう姿勢をとるにしても、いまやこれをまったく無視して芸術を語ることはできないだろう。

『棒馬考』は、その意味でゴンブリッチの何たるかを示すプロブレマティックな論文集である。

【この書評が収録されている書籍】
イコノクリティック―審美渉猟 / 谷川 渥
イコノクリティック―審美渉猟
  • 著者:谷川 渥
  • 出版社:北宋社
  • 装丁:単行本(297ページ)
  • ISBN-10:489463032X
  • ISBN-13:978-4894630321
内容紹介:
美学と批評を架橋すること―絵画、彫刻、写真、映画、詩、小説など、多様な“美的表象”を渉猟する美学者の、アクチュアルな批評論集。美と知の地平を博捜するリヴレスク・バロック第二弾。フランス文学者・鹿島茂との“書痴”対談収録。

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棒馬考―イメージの読解 / E.H. ゴンブリッチ
棒馬考―イメージの読解
  • 著者:E.H. ゴンブリッチ
  • 翻訳:横山 勝彦,谷川 渥
  • 出版社:勁草書房
  • 装丁:単行本(400ページ)
  • ISBN-10:4326850965
  • ISBN-13:978-4326850969

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初出メディア

ユリイカ

ユリイカ 1997年4月臨時増刊

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