書評

『視線と差異―フェミニズムで読む美術史』(新水社)

  • 2022/06/21
視線と差異―フェミニズムで読む美術史 / グリゼルダ・ポロック
視線と差異―フェミニズムで読む美術史
  • 著者:グリゼルダ・ポロック
  • 翻訳:萩原 弘子
  • 出版社:新水社
  • 装丁:単行本(356ページ)
  • 発売日:1998-02-00
  • ISBN-10:4915165809
  • ISBN-13:978-4915165801
内容紹介:
本書は、西洋近代美術の歴史が記述・記録されるなかで強力に働いている規範に含まれる偏りを明らかにする論争の書であり、フェミニストによる文化研究の理論的提起として、すでに一種の古典の位置を獲得している。…本書の価値は、議論の緻密さと、変革を展望する著者のはっきりと闘う姿勢にある。

フェミニズムの美術史学

「フェミニズムで読む美術史」というのが、訳者の与えた本書(萩原弘子訳、新水社、一九九八)の副題である。

かつて「フェミニズム」といえば、たとえば、ドアを開けて女性を先に通してやるような男のことを指していたはずである。ちなみに、手もとにある国語辞典の「フェミニスト」の項目を引いてみると、三つの意味が載っている。①男女同権論者。②女性を尊重する男性。③女にあまい男。実際、おおよそこんなところが従来の意味圏であったろう。

ところが、いまや様相は劇的に変化した。欧米では七〇年代あたりから、わが国では欧米の影響のもとにこの十数年ほどのあいだに、「フェミニズム」は女の側の言葉になった。女を尊重しようが、女にあまかろうが、それは男性中心主義であることに変わりはない。いまや「フェミニズム」は、世界を見るヘゲモニーを女性の側に取り戻すこととほぼ同義で使われる言葉になった。先の通俗的理解とは正反対であるといっていい。①の男女同権論者というのとも関係はない。女の権利を男の権利と同等にしようというのではなく、フェミニズムは女の眼差しによって世界を、あるいは世界の表象を独自に組み換えようとする立場だからである。

グリゼルダ・ポロックの『視線と差異』は、一九八八年の刊行以来、そうしたフェミニズムの立場から美術史学に斬りこんだ仕事として高く評価されてきた。ロジカ・パーカーとの共著『女・アート・イデオロギー』(一九九一、邦訳、新水社、一九九二)に次いで、二冊目になるが、まずは本書の邦訳刊行を喜ばなければならない。フェミニズムの美術史の可能性を冷静に判断する上で、たしかに本書は不可欠な文献である。美術史学上のフェミニズム宣言ともいえるだろう。

「美術史という学問はただ女に無関心というだけではない。それは男性中心的な言説であり、性的差異の社会的構築に手をくだしている当事者である」とポロックはいう。だから、「美術史言説における、男の性別をもつ特権的な個人というイデオロギー的産物を解体すること」が「必須の課題」となる。

「男性中心的」であるということは、まず美術が男の、男だけの眼差しによって構成されてきたことを意味する。「見る側となる権利、見つめ、じろじろと眺めまわし、観察する側となる権利を女はもたなかった」からである。アカデミーにおいて、女は人体デッサンのクラスから排除されたという歴史的事実もある。モダン・アートにおいては、「男のセクシュアリティとその記号である女のからだ」が、ヌードや娼館やバーというかたちで表現される。「男性性こそは、ヒステリックに執拗に女のからだを描き、おとしめ、ばらばらにした」とポロックは断言する。「モダニズムが内蔵する性の政治学」が、こうしてあばかれることになる。

「男性中心的」であるというのは、さらに、「創造力あふれる男である個人への礼賛」というイデオロギーがそこにあるということである。女のアーティストも存在するとして、掘りおこしの作業に従事することも意味がないわけではないが、そもそも偉大さの基準が男性の眼差しによってつくられてきたことを忘れてはならないというわけである。

こうしてポロックによれば、「美術史学そのものも一連の表現行為として理解されるべきで、それは性的差異についての諸定義を積極的に生産して、現時点における性の政治と権力関係のありように貢献している」ということになる。フェミニズムの美術史学は、マルクス主義的な「芸術の社会史」のように、芸術が社会的生産の一部をなすと考えるだけではなく、芸術そのものが生産する、さまざまな意味を生産するという立場に立つ。

こうしたイデオロギー的立場によって、従来の「男性中心的な言説」とは違った何が明らかになるのだろうか。それは、同語反復的に聞こえるかもしれないが、美術における「男性中心的」な眼差しであろう。フェミニズムは、逆説的にも「男」に対して異様に敏感なのである。ラファエル前派、とりわけロゼッティの作品をめぐるポロックの言説に、それがよくあらわれている。「女」を描いた絵に「男」の「性の政治学」を嗅ぎとるのだ。フェミニズムは、さしあたって、あるいは本質的に、二次的であることを免れないというべきだろうか。「男性中心的」な美術史あるいは美術史学がまず前提されなければ、それは展開されないからだ。

ベルト・モリゾやメアリー・カサットをめぐるポロックの言説には、教えられるところがあった。彼女たちの空間表現と女性としての社会的位置とのあいだに、ある種の相関関係を見てとろうというのは、たしかに新鮮な視点だからである。

本書のもともとの副題は、「女性性、フェミニズム、そして複数の美術史」である。「複数の美術史」というところに、本書のポイントがある。ポロックは、「われわれのなすべき仕事は、......複数の芸術の歴史にフェミニストとして介入することである」という。複数の美術史を構成するひとつの立場だということである。

ポロック自身も書いているように、フェミニズムの立場に立つ美術史は、結局「女性解放運動の政治的前衛の一部」であるということだろう。そのかぎりで、その役割は、「ほとんどの学問理念にそなわっている構造的な性差別」の糾弾に帰着するはずだ。

フェミニズムは、たしかに「ジェンダー」とその表象のありように無自覚な男性ののどもとに突きつけられた刃のようなものであろう。しかし、いずれにしても性的なものばかりにとらわれているなら、フェミニズムはかえって足もとをすくわれかねないようにも思われる。なぜなら、それは裏返しのかたちで「男性性」の再確認に、つまり意味の生産に手を貸していることになるだろうからである。

【この書評が収録されている書籍】
イコノクリティック―審美渉猟 / 谷川 渥
イコノクリティック―審美渉猟
  • 著者:谷川 渥
  • 出版社:北宋社
  • 装丁:単行本(297ページ)
  • ISBN-10:489463032X
  • ISBN-13:978-4894630321
内容紹介:
美学と批評を架橋すること―絵画、彫刻、写真、映画、詩、小説など、多様な“美的表象”を渉猟する美学者の、アクチュアルな批評論集。美と知の地平を博捜するリヴレスク・バロック第二弾。フランス文学者・鹿島茂との“書痴”対談収録。

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視線と差異―フェミニズムで読む美術史 / グリゼルダ・ポロック
視線と差異―フェミニズムで読む美術史
  • 著者:グリゼルダ・ポロック
  • 翻訳:萩原 弘子
  • 出版社:新水社
  • 装丁:単行本(356ページ)
  • 発売日:1998-02-00
  • ISBN-10:4915165809
  • ISBN-13:978-4915165801
内容紹介:
本書は、西洋近代美術の歴史が記述・記録されるなかで強力に働いている規範に含まれる偏りを明らかにする論争の書であり、フェミニストによる文化研究の理論的提起として、すでに一種の古典の位置を獲得している。…本書の価値は、議論の緻密さと、変革を展望する著者のはっきりと闘う姿勢にある。

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初出メディア

國文學(終刊)

國文學(終刊) 1998年9月号

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