書評

『種村季弘傑作撰』(国書刊行会)

  • 2017/08/13
種村季弘傑作撰I: 世界知の迷宮 / 種村 季弘
種村季弘傑作撰I: 世界知の迷宮
  • 著者:種村 季弘
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(277ページ)
  • 発売日:2013-06-18
  • ISBN:4336056692
内容紹介:
種村季弘の膨大な著作の中から、評論38編を2巻に精選した《タネムラ・ワールド・アトラス》。多面体文学者の無限迷宮を一望に!

魔術的博捜家の世界

故種村季弘氏とは、生前に何度か、手紙のやりとりがあった。

学生時代から、その博覧強記の仕事に魅了されていた私は、《日蝕》が単行本化された際、手紙を添えて一部を献本したが、それに、丁寧な批評を綴った返信をもらったのが、やりとりの最初だった。

それから、何かの雑誌で種村特集が組まれた折に、私も短いエッセイを寄稿したが、それにわざわざお礼の葉書を下さり、恐縮したことなどを覚えている。私の方では、当時、氏が翻訳を手懸けていたフリードリッヒ・グラウザーの《狂気の王国》《砂漠の千里眼》の感想を書き送ったりした。

京都に住んでいた私は、結局、種村氏にはお目に掛かれないままほどなく計報に接したが、今回、この《種村季弘傑作撰Ⅰ/Ⅱ》を読みながら、そのことを改めて残念に思った。

私は種村氏から貰った手紙の中に、ずっと気になっている一節があった。それは短い予言的な内容で、文学は今後、団居(まどい)して各々が持ち寄った話を語り合うような形式に戻ってゆくのではないか、というものだった。

私はその時は、なにか非常に鋭い洞察のように感じながらも、今一つ、意味するところを掴みかねていた。しかしその後、ネット空間の拡充とともに書き手と読み手との線引きが急速に解消されてゆく様を見るにつけ、その指摘は何度となく私の脳裡を去来した。

種村氏は別段、ネットの登場を俟ってそんなことを考えたのではなかった。本書に収められている最晩年の〈江戸と怪談〉では、岡本綺堂を再評価しつつ、まさしくこの予言について詳細に語られていて、私は思わず「EUREKA!」と声を上げそうになった。氏の考えでは、江戸文学には、例えば馬琴の『兎園小説』のように、「百物語形式で自分の持っている珍しい話をどんどんみんなに話して、それを筆談でまとめて一冊の本にしていくという形式」があったが、明治以降、そういう「話し言葉の文学」、「座談的な文学」は、国家そのものと直結するような文体観の中で顧みられなくなっていった。ネットがそういう文学のあり方を、今再び可能としているのは事実だが、どちらかというと、種村氏の着眼は、九〇年代の「近代文学の終焉」論に代表される行き詰まり感より発しているように見える。実際、この発言の直前には、「ぼくもいま、悪いけれども若い人の小説を読まないんですね」というコメントがある。因みに種村氏は、《日蝕》を全体的に肯定的に評価してくださったが、鴎外に範を採った文体に関しては、やんわりとながら否定的だった。

私は、この一編を読みながら、ほとんど無時間的、無国籍的に古今東西の書物を渉猟した種村氏だったが、その根は生粋の江戸っ子だったのだなとつくづく感じた。谷崎と鏡花は、氏が愛して已まなかった二人の作家だが、やはり江戸っ子だった谷崎と、金沢出身ながら江戸っ子以上に江戸っ子的であろうとした鏡花に対する氏の見方にも、確かにそれは影響している。

他方、二一世紀に入りたてのこの時期の雰囲気を、文久年間の末期の comfortably numb と重ねるこの一編には、種村氏の時代感覚の鋭敏さも感じられる。氏自身は、「現実から一つの壁によって阻まれたどこかにいる」谷崎の主人公の覗き見的な退行性を評価した人だったが。

実のところ、この撰集は、最初からそうした特色が強く感じられる構成となっている。

グスタフ・ルネ・ホッケの《迷宮としての世界》《文学におけるマニエリスム》の翻訳は、氏の名を一躍高からしめた最初期の重要な仕事だが、六八年に書かれている〈マニエリスム文学の復権〉を読むと、この仕事が決してディレッタント的なものではなく、自らの生きる時代への若々しい声であったことが理解される。基本的に諸神混渚的、反古典主義的、反権力的と規定されたマニエリスムは、「あらゆる秩序に潜在する『硬化』を嫌うために」、「たえず解体の危険にさらされる」という認識には、六〇年代の文化の沸騰的状況の行く末を、冷静に幾分ペシミスティックに見ている氏の眼差しが感じられる。

編集の妙として他に面白かったのは、Ⅰ巻で取り上げられた「あやつり人形」についての論考と、Ⅱ巻の「人造人間」についての論考との対比で、人間そのもののアレゴリーとして捉えられた両者が、外在的な一なる他者の操作を被っているのか、それとも内在的なシステムによって(一見)自律的に動いているように見えるのかの違いは、フーコーの権力論とも呼応する内容である。また、人造人間に唯一不可能なのは、「自然的な生殖を通じて子供を産むこと」というさり気ない指摘は、生物と非生物との区別をオートポイエティックか、アロポイエティックかに見る議論とも通じる。

集中、最も美しく印象的な論考は、デカルトにとっての物質 materia と母 mater 重ねて論じる〈少女人形フランシーヌ〉で、編者も指摘している通り、ここには幼時に母を亡くした種村氏の私的な体験の反響を見ることが許されるだろう。その点に於いても、氏の谷崎愛、鏡花愛は納得される。至るところで、あらゆる矛盾が原初の全体性を保持していた「ウーヌス・ムンドゥス(一なる世界)」(ユング)への憧れが語られているが、それが新プラトン主義的な彼方への超越とはならず、飽くまで物質世界に探られる種村氏の嗜好にも、恐らくこのことは関係している。

細分化された分析的な議論は、豊かなインスピレーションを求める人間にとっては、一種の衰弱を齎す毒である。私は、あれもこれもという、ほとんど魔術的な博捜に浸りながら、久しぶりに、創造的であるために必要な滋養をたっぷりと与えられたような満足を覚えた。

【この書評が収録されている書籍】
「生命力」の行方――変わりゆく世界と分人主義 / 平野 啓一郎
「生命力」の行方――変わりゆく世界と分人主義
  • 著者:平野 啓一郎
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(402ページ)
  • 発売日:2014-09-23
  • ISBN:406219063X
内容紹介:
社会を動かす「生命力」は、どこへ向かうのか?今、自分らしく幸福に生きるとはどういうことか?未来を考えるためのエッセイ&対談集

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種村季弘傑作撰I: 世界知の迷宮 / 種村 季弘
種村季弘傑作撰I: 世界知の迷宮
  • 著者:種村 季弘
  • 出版社:国書刊行会
  • 装丁:単行本(277ページ)
  • 発売日:2013-06-18
  • ISBN:4336056692
内容紹介:
種村季弘の膨大な著作の中から、評論38編を2巻に精選した《タネムラ・ワールド・アトラス》。多面体文学者の無限迷宮を一望に!

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初出メディア

図書新聞

図書新聞 2013年11月2日

週刊書評紙・図書新聞の創刊は1949年(昭和24年)。一貫して知のトレンドを練り続け、アヴァンギャルド・シーンを完全パック。「硬派書評紙(ゴリゴリ・レビュー)である。」をモットーに、人文社会科学系をはじめ、アート、エンターテインメントやサブカルチャーの情報も満載にお届けしております。2017年6月1日から発行元が武久出版株式会社となりました。

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