後書き
『本をよむ日曜日』(河出書房新社)
幼いころから、本を読むのが好きだった。気に入った本に出会うと、一人じめしているのがもったいなくて、「ねえねえ、これ、すごくおもしろいよ。読んでみて!」と人に勧める癖があった。今、本について何かを書く自分というのは、その延長線上にいるのだと思う。
評論家でもないのに「書評」をするなんて、おこがましいのを承知で三年間、朝日新聞の書評委員をつとめた。本を読んでそれが仕事になるなんて、こんな嬉しい話があるだろうか、と思った。
が、書くほうは大いに戸惑った。二枚半という限られた枚数の中で、何をどう表現すればいいのか。新米の私は、当時ご一緒していた森毅先生に「読むのは楽しいけど、書くのは難しい」とご相談したことがある。先生は「読むのが早くて、書くのも早い」書評のベテランなのだ。
いろいろアドバイスいただいた中で「二枚半のうち、一枚は本の紹介、もう一枚は本の感想、そして残りの二分の一枚は『芸』やな」という言葉が、特に心に残っている。なるほど先生の書評がおもしろいのは、二分の一枚の『芸』が効いているからなのだ。
その『芸』を私は、「ねえねえ、これ、すごくおもしろいよ。読んでみて!」でいこうと思った。書評を読んだ人が、本屋さんで買いたくなるようなものを書こう――それはつまり、心からお勧めできる本しか取りあげないぞ、という決意でもあった。文庫本の解説をお引き受けするときも、気持ちはまったく同じだ。
だから私は、欠点を指摘したり、不満を述べなくてはならないような本については、決して書かなかった。つまらないものを紹介しても、しかたがない。何を取りあげるかというところから、書評は始まっているのだと思う。
朝日新聞の書評は、毎週日曜日に掲載される。それを読んだ人が、思わず本屋さんへ行って、本をよむ日曜日を過ごしてくれたら……そんな気持ちで書いてきた。もちろん、日曜日でなくても、本書を読んで実際に本屋さんへ足を運んでくれるかたがいたら、幸せです。
一九九五年一月 俵万智
評論家でもないのに「書評」をするなんて、おこがましいのを承知で三年間、朝日新聞の書評委員をつとめた。本を読んでそれが仕事になるなんて、こんな嬉しい話があるだろうか、と思った。
が、書くほうは大いに戸惑った。二枚半という限られた枚数の中で、何をどう表現すればいいのか。新米の私は、当時ご一緒していた森毅先生に「読むのは楽しいけど、書くのは難しい」とご相談したことがある。先生は「読むのが早くて、書くのも早い」書評のベテランなのだ。
いろいろアドバイスいただいた中で「二枚半のうち、一枚は本の紹介、もう一枚は本の感想、そして残りの二分の一枚は『芸』やな」という言葉が、特に心に残っている。なるほど先生の書評がおもしろいのは、二分の一枚の『芸』が効いているからなのだ。
その『芸』を私は、「ねえねえ、これ、すごくおもしろいよ。読んでみて!」でいこうと思った。書評を読んだ人が、本屋さんで買いたくなるようなものを書こう――それはつまり、心からお勧めできる本しか取りあげないぞ、という決意でもあった。文庫本の解説をお引き受けするときも、気持ちはまったく同じだ。
だから私は、欠点を指摘したり、不満を述べなくてはならないような本については、決して書かなかった。つまらないものを紹介しても、しかたがない。何を取りあげるかというところから、書評は始まっているのだと思う。
朝日新聞の書評は、毎週日曜日に掲載される。それを読んだ人が、思わず本屋さんへ行って、本をよむ日曜日を過ごしてくれたら……そんな気持ちで書いてきた。もちろん、日曜日でなくても、本書を読んで実際に本屋さんへ足を運んでくれるかたがいたら、幸せです。
一九九五年一月 俵万智
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