書評

『にくいあんちくしょう―異端カリスマ列伝』(筑摩書房)

  • 2017/09/26
にくいあんちくしょう―異端カリスマ列伝  / 本橋 信宏
にくいあんちくしょう―異端カリスマ列伝
  • 著者:本橋 信宏
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(293ページ)
  • 発売日:2000-07-00
  • ISBN-10:4480035737
  • ISBN-13:978-4480035738
内容紹介:
怪しいTVディレクター、元祖ルポライター、伝説の劇画作者、哲学的AV監督、臓器密売人、元赤軍派議長…いかがわしくもしぶとい異端のカリスマ達に時に憧れ、時に共感し、彼らの断面を見事な角度で描き出すノンフィクション。

規格外人間のエスキース

人との出会いも才能のうち、そんな気がしてくる本である。

私は職業柄、これまでたくさんの伝記や自伝を読んできたが、その経験から一つ言えることは、人と人との出会いには「偶然という名の必然」が働いているということである。つまり、出会うべき運命にある人同士は、一見すると偶然であるかに見えても、実は、必然的に出会うということだ。

しかし、この本の著者の場合、最初は、そうした出会いの機会をあらかじめ封じられたという思いが強かったようだ。なぜなら、世代的に、戦争にも、学生運動にも、ビートルズにも、三島由紀夫にも間にあわず、本来なら出会うことができたかもしれない大物たちとは、永遠に隔てられていると感じる「遅れて来た青年」の一人だからだ。

たしかに、著者が大学に入学した一九七五年から一九七入年にかけての時代は、いま思えば、祭りのあとの空虚さのみが残った、やりきれない後退戦の時代だったと思う。私個人のことをいえば、なんとか潜り込んだ大学院で修士論文を書き上げ、博士課程に入ったはいいが、結婚して子供ができたため、留学もできずにアルバイトに明け暮れる日々で、かなり鬱屈した毎日を送っていたという記憶がある。妙に明るく、きらびやかになった世の中がまぶしくて、かつての学生運動の闘士たちはいまごろ、どうやって日々を送っているのかと、ふと思ったりしたものだ。

そんな、さえない時代のさえない日々の中で、著者が出会った「異端カリスマ」の最初の一人が、日大全共闘のアジテーターだったテリー伊藤であったというのは象徴的である。

私も街頭戦の経験があるのでよくわかるのだが、常に「石は後ろから飛んで来る」。つまり、先頭に立って戦っている者は、後方の味方の放った石つぶてで傷つけられることが、(象徴的にも)一番多いのである。理由は簡単、全共闘には肩の弱い奴しかいないからだ。テリー伊藤はまさにこのケースで味方の投げた石が左目に命中して、失明は免れたものの斜視になる。私はテリー伊藤とは同じ歳で、神田カルチエ・ラタン闘争で大ケガをして入院した学生がいたとは聞いていたが、まさかそれが、いまをときめくテリー伊藤だったとは、この本で初めて知った。

それはともかく、この本で、冒頭にテリー伊藤、最後に共産同赤軍派塩見孝也が配されているのは、著者にとって「リマーカブルな人々」というのが、初め、どんな人物を指していたのかを雄弁に示している、つまり、「遅れて来ない」で、「間に合った」世代の大物への憧れ、そして、それと同時に反発が、この著者の出発点にあるのだ。

しかし、全共闘の英雄時代への憧れを抱えて、ジャーナリズムの世界に飛び込んだ著者の前に出現したのは、たしかに団塊の世代ではあるものの、左翼運動とはまったく無縁の、社会の底辺からはい上がってきた「異形の者」だった。裏本ビジネスの陰の支配者で、後にAV監督として一世を風靡する村西とおるその人である。

この村西とおるについては、著者は『裏本時代』『アダルトビデオ 村西とおるとその時代』(ともに飛鳥新社)という大傑作の伝記連作をものしている。一九九〇年代の伝記文学を一つと言われたら、私は、躊躇することなく、この連作をあげる。それほどに、この連作で描かれた村西とおるのエネルギーは日本人離れして、読む者を唖然とさせずにはおかない。

そして、村西とおるとの出会いが、著者にとって、まさに「偶然という名の必然」と化す。以後、著者にとっての偶然の出会いは、この村西とおるという一本の強烈な必然の糸によって、すべて紡ぎ出されることになる。

ところで、この村西とおるへのコネクションをつけたのは、「梶原一騎」と「竹中労」の章で登場する池田草兵というルポライターだが、この草兵氏も、また彼と組んで一緒に台湾に裏本「神田川」を撮影に出掛けたカメラマンも、実は、テリー伊藤と同じ日大の元全共闘だった(『裏本時代』参照)。つまり、憧れながら間に合わなかった全共闘世代の残党のコネで、著者は村西とおるへと繋がったのである。実際、この時代、アンダーグラウンドの文化を支えていたのは、日大全共闘の残党が圧倒的に多く、自販機本文化、ビニ本文化は、石つぶてを紙つぶてに変えてのゲリラ戦にほかならなかった。著者は、末端で日大全共闘のネットワークにひっかかり、村西とおるというとんでもない人物との出会いを果たすことになるのだ。

本書で、「村西とおる」「北公次」「黒木香」また「竹中労」という章題でほんのエスキースとして描かれたエピソードの大部分は、のちに『裏本時代』『アダルトビデオ 村西とおるとその時代』で拡大再生産され、一九八〇年代青春クロニクルとなってもう一度我々の前に現れることになるが、エスキースにしても、すでにそれだけで十分に楽しめるだけのおもしろさを含んでいる。村西とおるという人物がいかに規格はずれの大物だったかが、これ一つをとってもわかる。

しかし、村西とおるを知りたいと思ったら、やはり、『裏本時代』『アダルトビデオ 村西とおるとその時代』を読んでみるにしくはない。

この村西とおるとの出会いが、著者の物書きとしてのスタンスを決定づける。規格外の人物への嗜好である。それは、大食を繰りかえした胃袋が拡張された結果、かなり腹一杯に食べても、空腹感が残るのと似ている。ようするに、著者は、村西とおるという規格外の人間に出会ってしまったがために、いわば「精神の胃拡張」の症状を呈し、ひたすら、食いあまりがする人物だけを追い求めることになるのだ。

とはいえ、いかに世の中広大だろうと、村西とおるほどの規格外人間はおいそれとは見つからない。唯一、村西とおるに匹敵するのは、恐怖の腎臓売買ビジネスを確立し、金満家教会を設立した杉山治夫だろう。撮影用の小道具として、銀行に前もって連絡して集めてきた一億円をバッサバッサと撒き散らし、部下に肉屋に買いにやらせた豚のレバーをビーカーに入れて抜き取った腎臓に見せて、悪人ぶりを自己演出して悦にいる杉山治夫の横顔は、まさにピカレスク・ロマンの悪党そのもの、むしろフィクションの中の人物としか思えない。この人物を紹介してみせただけでもこの本は読む価値がある。

しかし、ここで、いささか心配になるのは、これだけの規格外人物とばかり付き合っていたら、世の中を正常な基準で計れなくなるのではないかということである。事実、一般人からみれば十分に奇矯な人間である宅八郎や佐川一政でさえ、たんなる風変わりな人物に見えてくる。

だが、どうやら心配は無用のようだ。というのも、近著『悪人志願』では、著者は己の拡張した胃袋に見合うだけの規格外人間をかき集めるのに成功しているからだ。「遅れて来た青年コンプレックス」から始まり、村西とおるとの出会いで慢性症状と化した「精神の胃拡張」も、すでに著者の才能の一部となったものと思われる。

いずれにしても、世紀末ニッポンも、まだまだ捨てたものではないと思わせてくれる本である。 

【この書評が収録されている書籍】
解説屋稼業 / 鹿島 茂
解説屋稼業
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(238ページ)
  • 発売日:2001-08-00
  • ISBN-10:479496496X
  • ISBN-13:978-4794964960
内容紹介:
著者はプロの解説屋である!?本を勇気づけ、読者を楽しませる鹿島流真剣勝負の妙技、ここにあり。

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にくいあんちくしょう―異端カリスマ列伝  / 本橋 信宏
にくいあんちくしょう―異端カリスマ列伝
  • 著者:本橋 信宏
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(293ページ)
  • 発売日:2000-07-00
  • ISBN-10:4480035737
  • ISBN-13:978-4480035738
内容紹介:
怪しいTVディレクター、元祖ルポライター、伝説の劇画作者、哲学的AV監督、臓器密売人、元赤軍派議長…いかがわしくもしぶとい異端のカリスマ達に時に憧れ、時に共感し、彼らの断面を見事な角度で描き出すノンフィクション。

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