書評
『大向うの人々 歌舞伎座三階人情ばなし』(講談社)
なぜ人は掛け声をかけるのか
歌舞伎座で聞こえる、「成田屋!」「成駒屋!」という掛け声。あの声がかかる間(ま)が、役者さんの台詞(せりふ)とビシッと合うと、何とも気持ちの良いものです。反対に、煮え切らない声だと、気になって仕方がない。山川静夫さんは古典芸能通として知られていますが、それもそのはず、あの掛け声をかける大向うの人たちの会に、学生時代から入っていらしたのです。
静岡から上京した学生服姿の山川青年が、歌舞伎にはまっていく青春譚(たん)から、このエッセーは始まります。歌舞伎座の三階にいる大向うの人々と交流が生まれ、先輩の大向うや役者さんたちに可愛がられて成長していく、山川青年。歌舞伎座においては、舞台上で演じられている物語以外にも、客席にそして廊下に、物語はありました。
驚くのは、かつては大向うの会の人たちと役者さんたちとの交流が、非常に密であったということ。共に温泉旅行をしたり、家に招いたり招かれたりする様を読むと、舞台と客席の距離が、急に縮まったように思えてくるではありませんか。
大向うの人々の熱心さにも、唸(うな)らされます。タイミング、声のトーン、そして何と叫ぶか。それは勉強と熟練を要する技能なのであり、観(み)る側の技術をこれほど熱心に研(みが)くファンがいる歌舞伎という芸術の奥深さが、改めて思い知らされるのでした。
次第に読者は、なぜ人は掛け声や拍手という行為をするのかというところに、著者の筆によって導かれます。何かを称賛したいという気持ちの純粋さと熱さは、人間が太古の昔より持っていたもの。大向うとは、その気持ちを、文化と言えるほどまでに昇華させた人々なのです。
舞台上と、三階席。一番離れているはずの両者は、実は声と声、思いと思いで通じ合っているのでした。読み終えた時は思わず、「駿河屋!」と(静岡ご出身なだけに)声をかけたくなったこの本。来年、歌舞伎座は建て替えとなりますが、本書を読んだならば、ぜひ一度今の歌舞伎座の、それも三階席で歌舞伎を観たくなることは、間違いないでしょう。
朝日新聞 2009年11月15日
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