書評
『能がわかる100のキーワード』(小学館)
活き活きと能を見たい人へ
能は難しい。それは当たり前といえば当たり前である。なにしろ、五百年も六百年も昔の芸能である。ことばも現代の口語とは大きく違う。いろいろな約束事が、「演技の記号」としてちりばめられている。能面を掛けての謡いは、ややもすれば囃しの壮烈な掛け声などにかき消されたりして聞き取りにくい。しかも、非写実的象徴的な、ゆっくりとした動作を以て、粛々と劇が運んでいく。だから初めて見た人は、感動よりも戸惑いや謎を感じるに違いない。でも、なんとなく気になる、つまり能というのは、そういう演劇なのである。正直言えば、私の能体験というのも、最初はそんな風だった。
さればといって、能の手引きのような本も、これがまた、何も知らない人にその魅力や見方を分りやすく教えるということを目指して書かれたものとは到底考えがたいものがほとんどで、どこからどのように踏み入ったらいいのか、というのが初心者としての私の思いであった。私自身は日本古典文学の研究者だから、それでも、一般の人にくらべれば遥かに「分る」ところにいた。にしても、最初は何も分らなかったのだから、まして、古典に親しむことの少ない人には、能は難物である。
この本は、そういう、まったく「能経験」を持たない人を想定読者として、しかも学者や評論家でなくて、バリバリ第一線の能楽師の手によってかかれた、希有の入門書である。著者は、観世流の中でも特にまた意欲的に能楽を研究し、創造的にこれに取り組んでいる異色の能楽師であるが、その俗意にとらわれない精神は、この本のなかにも溌剌と息づいている。
書題からすると、なにやらどこにでもある体裁の簡易辞書風のものに勘違いされかねない(その意味では、この題名はちょっと良くない)けれど、内実は決してそうでない。全体を10章に分け、それぞれを「能を見る」「能を聞く」「能を楽しむ」・・・「能を演じる」「能は進化する」ときて最終章は「能、緊張する瞬間」という風に締めくくる。この間、どの一章をとっても、著者の実演経験に基づかない「知識」だけの記述はなく、読みながら、私たちは著者と一緒に能舞台の上や裏側まで仮想体験できるような気さえする。
たとえば、「能を聞く」65ページのこんな記述。
「お調べ」に始まり、「イヤー チョン」(大鼓)、「イヤー テン」(太鼓)という音ですべての演奏が終わり、長い橋懸かりを帰る。目くるめく舞台の興奮は次第に冷めて、無人になっていく舞台が我が物のように懐かしく思われる。
こんな叙述は、いまだかつて読んだことがない。ここには舞台というものを、その舞台人の側からみた溌剌たる意識が躍動している。
思えば、能も茶も、中世近世の武士のたしなみであった。そうして、その簡潔で精神性の高い佇まいには、どこか共通したものがあるかと思われる。そんな意味で、茶をたしなむ人はすべからく能もたしなむがよろしかるべく、猶そのときに、俗眼に曇らされないこのような書物をこそ善き先達として進むのがもっとも望ましい。
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