書評
『美人コンテスト百年史―芸妓の時代から美少女まで』(朝日新聞社)
ミスコンの伝統破った『週刊朝日』
美人学者・井上章一が『美人論』、『おんな学事始』につづき、またまた『美人コンテスト百年史』(新潮社・現朝日文芸文庫)を出した(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1992年頃)。似たテーマについて連作すればたいていレベルダウンはさけられないものだが、実証力も筆力もテーマの鮮度もまったく落ちていない。筆者みずから「美人は私のライフワークです」と言い切るだけのことはある。今度の本を読んで面白かったことの一つに、美人コンテスト発達史における『週刊朝日』の役割がある。
日本の美人コンテストの歴史は公式的には明治四十年までさかのぼるそうだが、当時は写真によって審査を行っていた。和服の立ち姿と顔のアップ写真によって女王を選んでいたわけである。
江戸時代、町で評判の娘が○○小町とか○〇三人娘と題されて浮世絵に刷られ、町人はそれを見て雨夜の品定めを楽しんだ伝統が明治になってよみがえり、昭和のはじめまで続いた。この奥床しい伝統を破った張本人が『週刊朝日』にほかならない。
昭和六年、『週刊朝日』主催の「ミス・ニッポン」が開かれる。ちなみに「ミス○○」という言い方の美人コンテストの開催もこれが最初で、それまでは「○○小町」と呼ばれていたそうだ。そのおり、審査員から次のような批判が噴き出す。
「写真を通して美人を見るといふことは不可能なことで……皮膚、髪の艶、眼、唇の色など全然失はれ、死んだ美人を審査するやうなもの」(和田三造)
「わたくしは今度の審査会で、つくづく写真がウソをいふことを悟りました」(グレン・シヨウ)
いやいやこうした審査員の不満はごもっともで、美人というものは写真で見るよりやはり実物を見る方がずっといいし、見たり論じたりするより肌をすり合わせる方がもっといいにきまっている。
で、『週刊朝日』の編集部はどうしたかというと、ここのところがいかにも野次馬まるだしで、写真で入選した十人のミスをあわてて大阪の朝日会館に集め、公開の賞品授与式を行った。
今日だと、選考会でも応募者たちが舞台にたつが、このときはそれがなかった。しかし、賞品授与式だけとはいえ、本人たちが舞台にあがったという点は、画期的である。やはり、今日的なコンテストのめばえは、この時期にあった。そういいきって、まちがいないだろう
それから六十一年。『週刊朝日』の野次馬軟派路線が健在でありますように。
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