学問の「既知」を破壊する爆弾
おもわず定規を取り出して厚さを計ってしまった。全三巻で合計13センチ。岩石のように分厚いが、その内容もまた超弩級(ちょうどきゅう)の破壊力を秘めた本である。フランスの脱領域的知性がそれぞれの専門分野で「男らしさ」を検討に付した本書は、すべての人文・社会学系の学問の「既知」を破壊するかもしれない爆弾であり、以後、だれもが本書を参照せずに執筆を行うことは不可能となると思われるからである。なぜか? これまで文明の基盤であり、倫理や哲学の物差しとされてきた多くが「男らしさ」という期間限定の「歴史」にすぎなかったことが証明されてしまったからだ。したがって「本全三巻を通じての目的は、つまり、歴史の消失の歴史をたどることである」。なんたることか! 歴史とは「男らしさ」の歴史にほかならず、いままさに「消滅」しようとしているというのである。
そんな本書が古代ギリシャ文明の分析から始まっているのはいかにも象徴的である。ギリシャ語で「男らしさ」を示す「アンドレイア」という言葉は「ただの男ではなく」、強健な肉体、勇気、判断力を備えた「もっとも『完璧な』男」を表し、転じて「格付けのための枠組み」「幾多の基軸が生み出される母胎、交差する場所」となったが、ギリシャ文明における男性ヌードの氾濫と身体能力への偏愛、および男同士の愛についてもこれで説明がつくからだ。ギリシャでは「仕手側」の男性が「受け身側」の男性を政治的にも性的にも支配して当然とされ、女性は「男らしい男」を生むための機械と見なされていたが、それは「アンドレイア」がすべての規範となっていたのだ。
こうした「男らしさ」に理想を求める文化はローマにも持ち越され、セクシュアリティでも男性同性愛が特権化されるが、ローマの平和が長くなるにつれて、「ローマの住民の男らしさは、最終的にかなりやわに」なり、次いで同性愛を忌むべきものと見なすキリスト教の影響で大きな転機を迎える。
だが、その前に検討すべき大きな要因がある。ゲルマン民族の侵入である。なぜなら、蛮族であるゲルマン民族はギリシャ的な女性蔑視的文化を持ってはおらず、男系的であるよりも両系的であり、女性には「ローマの女性よりもはるかに大きな法律上・世襲財産上の権利が与えられていた」からだ。この両系的特徴はキリスト教と親和的だったため、メロヴィング王朝においてキリスト教が社会上層に受け入れられる下地となる。また男らしい王妃や女王が活躍する時代が到来する。
変化が訪れるのはカロリング家が王位に就き、「未分化の家族集団からなる構造は姿を消しはじめ、より父系的な構造に道を譲っていくことになった」ときである。つまり、ギリシャ・ローマ的な「男らしさ」が父系、それも長子相続制の普及によって復活する。それとともに相続から排除された次男以下は「エリートの下層集団に落ち込むことになったのであり、その集団のことを『騎士』と呼び始めた」。ここから劇的な「男らしさ」の逆襲が始まる。「彼らがより高いランクの貴族に上昇するには、卓越した資質を披露する必要があった」。こうしてカロリング朝以降の中世は、ジョルジュ・デュビーの表現を借りていいなおせば「男性的中世」として構築された。
ここからほぼ一千年にわたって「男らしさ」の支配が続く。絶頂期は王侯貴族に代わってブルジョワジーが権力についた十九世紀で、「男らしさ」は「革命軍やナポレオン軍の偉業、古代の英雄たちへの頻繁な言及により、ごく幼い頃から男子に教え込まれる規範」となり、「勇気、さらには英雄主義、栄光の探求、挑戦は何であれ受けて立つべきだという態度が男性たちに課される。そして法体系は、家族内における男の権威を強化した」。フロベールやメリメ、スタンダールなど「男らしさ」と無縁そうな文学者も私信や日記では露骨なセクシストとして振る舞っている。この「男らしさ」の最盛期はほぼ百二、三十年続くが、それへの異議申し立てはアングロ・サクソン地域でまず始まる。ローマの影響の少なかった両系制の元「蛮族の地」だったからなのかもしれない。反対にローマの後継者を任ずる「兄弟愛(フラテルニテ)」の国フランスはボーヴォワールという先駆的なフェミニストを生んだにもかかわらず「男らしさ」への批判が本格的になるには社会学者ブルデューの『男性支配』を待たなければならなかった。しかし、いったん批判の正しさが確認されるや、あとは一気呵成、本書のような巨大な成果が現れたのである。
かくて、「女は女に生まれるのではない。女になるのだ」と喝破したボーヴォワールにならって、本書の著者・編者たちは「彼女の有名な定式は、その対となる定式『ひとは男に生まれるのではない、男になるのだ』によって補完されなければならない」と結論するに至るのである。(鷲見洋一、小倉孝誠、岑村傑監訳)