書評
『時間・欲望・恐怖―歴史学と感覚の人類学』(藤原書店)
歴史の一時期を境に、それまでは感じられていなかったことが突然感じられるようになる。たとえば、悪臭と芳香。あるいは、娼婦への恐怖や浜辺の魅力。アナール史学の流れを汲むアラン・コルバンは、『においの歴史』『娼婦』『浜辺の誕生』などの大著でこうした感性の変容を大胆かつ緻密に分析して読書界に新鮮な衝撃を与えたが、彼の論文十三篇をまとめた本書は、これまでの大著とは異なり、様々なテーマを簡潔に扱っているので、初めての読者でも気軽にページをめくることができる。もっとも、それぞれの論文はどれも切り口が斬新で、しかもきわめて凝縮度が濃いため、意外に重い読後感が残る。
その典型は「布製品の普及と身体文化」と題された章である。ここでは、十九世紀において重要な嫁入り支度のひとつであった下着やシーツなどの白物の布製品の普及を調べることによって、女性が抱く象徴的な富への欲望や洗練への渇望などの集団的感性があきらかにされる。その分析の手法は多岐にわたり、夫婦財産契約書の解読、イニシャルの入った下着やシーツの量の増加の確認、専門店の数と分布の分析、洗濯の方法や洗濯女の生活の変化などの調査が徹底しておこなわれる。そして、そこから肉体と精神の純潔の象徴としての、「白い清潔な布」を崇(あが)める感性があぶりだされ、さらに秘められた部分を包む下着のエロティシズムの誕生があとづけられる。同時に、シーツや下着への執着に現れた、女性の蓄財感覚と人生設計の様態があらわにされる。このように、白物類のような一見ささいなものの歴史でも、それが女性の夢の歩みと男性の欲望の変化の表象であるという観点さえ見つかるなら、立派に「感性の歴史」の一部となりえることが示される。
また、「若夫婦の手引書」の章においては、もっとも語られぬもののひとつである夫婦の性生活の変容が、性生活の手引書の類(たぐ)いの解読によって見事にとらえられる。コルバンによれば、こうした手引書の著者である十九世紀の医者たちの関心は、夫の精力の浪費を戒めることにあったという。すなわち射精は男性の生命の消耗を招くと考えた彼らは性交回数や時間を算術的に算定することで精液の管理を徹底させようとする。性交は妊娠が目的であるから、夫は「精液を貯蔵し、たくましい受胎を心がけると同時に、相手に激しい性的快楽を感じさせないように配慮しなければならない」。なぜなら、もし過度の性交によって妻の性的本能が目覚めさせられたら、あの恐るべき色情狂を誘発し、ひいては夫の死と子孫の衰弱を招くからである。したがって性交時間は短ければ短いほどいいということになる。現代のセックスガイド書とは何たる違いだろうか。
ところで、コルバンが凡百の歴史家と異なるのは、こうした医学書によって「語られたこと」だけを歴史の資料とするのではなく、そうした言説の「語り方」それ自体に現れた社会的想像力をも分析の対象とする点である。すなわちコルバンは、女性のオルガスムを退け、ひたすら精液の管理をはかろうとするこの種の医学言説は同時に女性恐怖を示す男性の苦悩の言説でもあると強調する。彼に言わせれば、女性史の研究者たちが主張する、歴史資料のほとんどが男性中心の視点で書かれていて、女性は沈黙を強いられているという不満は見当違いであるという。なぜなら、分析すべきは、むしろこうした男性中心的言説にあらわになっている女性恐怖症だからである。
ここにおいて、コルバンの歴史学は、書かれたもののこちら側でなく、向こう側、すなわち、資料に現れた著者たちの、社会的無意識の領域へと踏み込むことになる。これはとてつもなく鋭敏な文学的感受性が要求される方法だが、「先天性梅毒の歴史」を扱った章を一読すれば、コルバンが、この方法をすでに自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものにしていることが理解されるだろう。そこでは淫蕩(いんとう)な先祖から伝わり子孫を「劣悪な人間」にしてしまう先天性梅毒の恐怖を執拗(しつよう)にかきたてる医者たちの言説が種の退化の妄想におびえるブルジョワジーの不安を科学的な位相に翻訳したものであったことが証明されている。また、後に全面展開されることになる娼婦や悪臭などのテーマを扱った章においても、医学書や警察文書などの言説を二重に読み取るこうした視点の威力が遺憾なく発揮されている。
このように、本書はコルバン独特の方法論を知るための恰好(かっこう)の手引きであると同時に、コルバン史学のその後の展開を示す見取り図ともなっているので、これからコルバンを読んでみようという読者には最適かもしれない。来日したコルバンのセミナーの記録が収録されているのもありがたい。訳文は癖のある原文にもかかわらず明快でいたって読みやすい。
【この書評が収録されている書籍】
その典型は「布製品の普及と身体文化」と題された章である。ここでは、十九世紀において重要な嫁入り支度のひとつであった下着やシーツなどの白物の布製品の普及を調べることによって、女性が抱く象徴的な富への欲望や洗練への渇望などの集団的感性があきらかにされる。その分析の手法は多岐にわたり、夫婦財産契約書の解読、イニシャルの入った下着やシーツの量の増加の確認、専門店の数と分布の分析、洗濯の方法や洗濯女の生活の変化などの調査が徹底しておこなわれる。そして、そこから肉体と精神の純潔の象徴としての、「白い清潔な布」を崇(あが)める感性があぶりだされ、さらに秘められた部分を包む下着のエロティシズムの誕生があとづけられる。同時に、シーツや下着への執着に現れた、女性の蓄財感覚と人生設計の様態があらわにされる。このように、白物類のような一見ささいなものの歴史でも、それが女性の夢の歩みと男性の欲望の変化の表象であるという観点さえ見つかるなら、立派に「感性の歴史」の一部となりえることが示される。
また、「若夫婦の手引書」の章においては、もっとも語られぬもののひとつである夫婦の性生活の変容が、性生活の手引書の類(たぐ)いの解読によって見事にとらえられる。コルバンによれば、こうした手引書の著者である十九世紀の医者たちの関心は、夫の精力の浪費を戒めることにあったという。すなわち射精は男性の生命の消耗を招くと考えた彼らは性交回数や時間を算術的に算定することで精液の管理を徹底させようとする。性交は妊娠が目的であるから、夫は「精液を貯蔵し、たくましい受胎を心がけると同時に、相手に激しい性的快楽を感じさせないように配慮しなければならない」。なぜなら、もし過度の性交によって妻の性的本能が目覚めさせられたら、あの恐るべき色情狂を誘発し、ひいては夫の死と子孫の衰弱を招くからである。したがって性交時間は短ければ短いほどいいということになる。現代のセックスガイド書とは何たる違いだろうか。
ところで、コルバンが凡百の歴史家と異なるのは、こうした医学書によって「語られたこと」だけを歴史の資料とするのではなく、そうした言説の「語り方」それ自体に現れた社会的想像力をも分析の対象とする点である。すなわちコルバンは、女性のオルガスムを退け、ひたすら精液の管理をはかろうとするこの種の医学言説は同時に女性恐怖を示す男性の苦悩の言説でもあると強調する。彼に言わせれば、女性史の研究者たちが主張する、歴史資料のほとんどが男性中心の視点で書かれていて、女性は沈黙を強いられているという不満は見当違いであるという。なぜなら、分析すべきは、むしろこうした男性中心的言説にあらわになっている女性恐怖症だからである。
ここにおいて、コルバンの歴史学は、書かれたもののこちら側でなく、向こう側、すなわち、資料に現れた著者たちの、社会的無意識の領域へと踏み込むことになる。これはとてつもなく鋭敏な文学的感受性が要求される方法だが、「先天性梅毒の歴史」を扱った章を一読すれば、コルバンが、この方法をすでに自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものにしていることが理解されるだろう。そこでは淫蕩(いんとう)な先祖から伝わり子孫を「劣悪な人間」にしてしまう先天性梅毒の恐怖を執拗(しつよう)にかきたてる医者たちの言説が種の退化の妄想におびえるブルジョワジーの不安を科学的な位相に翻訳したものであったことが証明されている。また、後に全面展開されることになる娼婦や悪臭などのテーマを扱った章においても、医学書や警察文書などの言説を二重に読み取るこうした視点の威力が遺憾なく発揮されている。
このように、本書はコルバン独特の方法論を知るための恰好(かっこう)の手引きであると同時に、コルバン史学のその後の展開を示す見取り図ともなっているので、これからコルバンを読んでみようという読者には最適かもしれない。来日したコルバンのセミナーの記録が収録されているのもありがたい。訳文は癖のある原文にもかかわらず明快でいたって読みやすい。
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