書評
『革命と反動の図像学: 一八四八年、メディアと風景』(白水社)
19世紀の民衆は「英雄」か「蛮族」か
もし、タイムマシンがあって一度だけ過去に連れ戻してくれるのなら、迷わず、1789年のフランス革命から1870年の普仏戦争までを選ぶ。本書とも重なるこの約80年間を、スイスの美術史家ヤーコプ・ブルクハルトは「歴史の危機」と名付けるが、危険を承知の上でのぞいてみたいと渇望させるだけの魅力が、この時代にはある。そして、19世紀の大動乱期を生きたフランスの代表的な知性が己の時代をどう意義付けたかが、後世に大きく響いてくる。ミシュレの『フランス革命史』(1847〜53)は仏革命に関しての「最も価値ある記念碑的な労作のひとつ」だ。7月王政(1830〜48)末期、仏革命をめぐる論議が沸騰するなかで保守派が民衆を「社会の秩序を脅かす危険な階級」とみなしたのに対して、ミシュレは「主役は民衆」だとし、中世から革命の時代への移行は「歴史を解読しようとする意志が要請した必然的な流れ」であって「解読の中心となるのは『民衆』という存在」だと確信していた。
1848年のフロベールにとって、同年に起こった2月革命は「滑稽な出来事」でしかなかった。2月革命を仏大革命の「頽廃(たいはい)的な反復」と見なす態度は、ヴィクトル・ユゴーや自由主義者トクヴィルにもみられた。社会主義者プルードンですら、「歴史的偉大さが欠落していると嘲笑し」、マルクスも「茶番」だと断罪した。
ミシュレとフロベールの間では民衆の定義が決定的に異なる。ミシュレにとっての民衆は「特定の社会階層を指し示すというよりも(略)理想の共同体」なのである。他方、フロベールのそれは、同様「社会の危険分子からなる無秩序な集合体」であり、「蛮族の群れ」だった。
結局、この差はエミール・リトレの「労働者階級の社会上昇は、18世紀までのカトリック的統一性が破綻(はたん)したことによる当然の帰結」との歴史哲学的考察に賛同するか否かに帰する。民衆を歴史の英雄と見なしたミシュレは、第2帝政に敵対的であるとされ、1852年コレージュ・ド・フランスの教授職を罷免(ひめん)されるが、70年に成立した第3共和制は彼を「共和国の精神的な父」と称(たた)えた。
最終章まで読んで急に序章が気になった。「過剰な自己満足と矜持(きょうじ)、進歩に対する無邪気なまでの信仰が、フランス人に謙虚さという伝統的な美学を忘却させた」から、19世紀は「愚かな世紀」だと保守派のレオン・ドーレが「きびしく糾弾した」とある。1世紀半を経て「失われた20年」への対処や原発再稼働と輸出が、3・11以後日本の成長に寄与するというのでは、日本の21世紀も「愚かな世紀」なのではと思わざるを得ない。
朝日新聞 2014年04月13日
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