書評

『ルイ十六世』(中央公論新社)

  • 2017/09/03
ルイ十六世 上 / ジャン=クリスチャン・プティフィス
ルイ十六世 上
  • 著者:ジャン=クリスチャン・プティフィス
  • 翻訳:玉田 敦子,橋本 順一,坂口 哲啓,真部 清孝
  • 監修:小倉 孝誠
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(667ページ)
  • 発売日:2008-07-01
  • ISBN-10:4120039587
  • ISBN-13:978-4120039584
内容紹介:
愚鈍、放蕩、反動…俗説を覆す決定版評伝。農奴制の廃止、宗教的問題の解決、科学的知見をもって航海術にも情熱を燃やし積極的外交を展開した知られざる王の実像に迫る。

知られざる「最も優れた敗者」の素顔

三年前、パリ行きの飛行機で『パリ・マッチ』を開いたら、与党と野党の大物政治家がともに「ヴァカンス中に読んで面白かった本」の筆頭に本書を挙げていた。

著者のプティフィスによれば、ルイ十六世は愚鈍どころか、むしろ英邁(えいまい)といえる君主であったという。これは意外である。というのも、かなりの歴史好きでもルイ十六世について抱いているイメージはロクなものではないからだ。すなわち、フランス革命が勃発(ぼっぱつ)した七月十四日の日記に「(狩りの獲物は)なにもなかった」とだけ記すような政治的音痴、マリー・アントワネットから「可哀そうな男」と馬鹿にされた(性的にも)ダメな夫、部屋に籠(こ)もって錠前作りと鍛冶(かじ)仕事に精出すオタク。ようするに善良ではあるが、それ以外には何の取り柄もない存在感の薄い王というイメージで、歴史書も小説もみなこの線でルイ十六世を扱ってきた。

ところが、未刊資料を深く読み込むことでルイ十六世の知られざる一面を明るみに出した本書を読むと、イメージは一変する。すなわち、ルイ十六世はアンシャン・レジーム(旧体制)末期という絶望的な状況において可能な限り善戦した「最も優れた敗者」ではなかったのかという思いに駆られるのだ。

驚きの第一は、ルイ十六世が鈍重そうな顔の下に意外なインテリジェンスを隠し持っていたことである。文学・芸術に対するセンスはなかったが歴史は好きで九歳のときからヒュームの『イギリス史』を愛読していたし、外国語もよくできた。後にはテュルゴーやネッケルの提出した経済分析も正確に理解し、フランス財政の危機的状況とそこから抜け出す処方箋(せん)を真剣に考えるだけの頭の良さももっていた。報告書の余白に書きこんだ彼のコメントはそれをよく物語っている。

驚きの第二は、同時代の王侯貴族の中でルイ十六世は最も開明的で、公平な税負担という平等思想の持ち主だったことである。「当人は意識しなかっただろうが、フランスにこの新思想[アメリカ的啓蒙(けいもう)思想]を導入したのは、改革案が未完に終わったとはいえ、ルイ十六世だったといえるのではなかろうか? 彼は、歴史あるいは神によって造られたとされているものに、タブーなしに触れることができることを明らかにしたのではないだろうか?」

では、なにがいけなかったのだろうか? まず言えることは、フランス人にしては珍しい致命的なコミュニケーション能力の欠如である。「彼には、群衆を感じとる本能のようなものが欠けていた。群衆を魅了し、語りかけ、説得する能力はなかったし、世論の動きを把握することもできなかった」

次なる欠陥は、テュルゴーやネッケルといった最高の改革者を抜擢(ばってき)しながら、最後まで彼らを守り通さなかった定見のなさ。彼らの更迭の原因は従来、王妃の圧力とされてきたが、著者はそれを打ち消し、むしろ、彼らの強すぎる個性が王の自我を傷つけたことが原因とする。「[ルイ十六世は]侵しえない信条がもたらす熱狂的な確信、(中略)すべてを転覆させようとする[テュルゴーの]性急さに頭を抱えていたのである。何か月かが経過したあと、テュルゴーの性格はより辛辣(しんらつ)になった。彼は意見ではなく命令を出すようになったのだ」。ネッケルの場合も、ほぼ同じことが繰り返された。「王はそもそも宰相など不要だと思っていた。無理強いも好まなかった。最後通牒(つうちょう)を振りかざすことによって、ジュネーヴ出身の銀行家は限界を越えてしまった」

だが、革命に至る十五年の治世での最大の失敗はなにかといえば、それは相談役のモールパの進言を容(い)れて高等法院を復活させてしまったことである。高等法院とは裁判所の控訴院の役割を果たすと同時に予算と王令の登録権(拒否権)を持つ機関で、絶対王政にたいする封建貴族の牙城であった。ルイ十五世はこの弊に気づいて解体を試みたのだが、ルイ十五世に恨みを持つモールパは新王の誕生時に復活を進言したのだ。この高等法院復活こそがルイ十六世の躓(つまず)きの石となる。高等法院が王権に対する抵抗の砦(とりで)と見なされ、民衆の喝采(かっさい)を浴びたからだ。高等法院は税の公平を目的とする王政近代化に反対する特権貴族の巣窟(そうくつ)だったのだから、民衆がこれに味方するのはおかしいのだが、民衆は反抗は反抗とばかりに、トロワに追放された高等法院の帰還に喝采を送ったのだ。「高等法院は追放を解かれ呼び戻された。その巴里(パリ)への帰還は一つの勝利であり、人々は熱狂のうちに出迎えた。誰もが歓喜し、花火が打ち上げられた」

社会の激動と暴力を見ればすでに「革命」は始まっていたのだ。すなわち、権力に抵抗する者は正しいと闇雲(やみくも)に見なす「造反有理」の時代がもうそこまで来ていたのである。この奔流を前にしては、いかなる名君であろうとも、なす術(すべ)はなかったのである。(小倉孝誠・監修、玉田敦子・他訳)
ルイ十六世 上 / ジャン=クリスチャン・プティフィス
ルイ十六世 上
  • 著者:ジャン=クリスチャン・プティフィス
  • 翻訳:玉田 敦子,橋本 順一,坂口 哲啓,真部 清孝
  • 監修:小倉 孝誠
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(667ページ)
  • 発売日:2008-07-01
  • ISBN-10:4120039587
  • ISBN-13:978-4120039584
内容紹介:
愚鈍、放蕩、反動…俗説を覆す決定版評伝。農奴制の廃止、宗教的問題の解決、科学的知見をもって航海術にも情熱を燃やし積極的外交を展開した知られざる王の実像に迫る。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2008年8月17日

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