選評
『西鶴の感情』(講談社)
大佛次郎賞(第32回)
受賞作=富岡多惠子「西鶴の感情」、リービ英雄「千々にくだけて」/他の選考委員=川本三郎、髙樹のぶ子、山折哲雄、養老孟司/主催=朝日新聞社/発表=同紙二〇〇五年十二月二十二日小説的実験と深い奥行き
形容句などの文飾をできるだけ削って、骨組みだけの簡潔な文章を綴(つづ)ればどうなるか。そのことで、作者から読者への意味の移し替え作業が、いっそう力強いものになるのではないか。リービ英雄氏の『千々にくだけて』は、その実験の成功例である。9・11事件以降の世界に生きるわたしたちが強いられている宙(ちゅう)ぶらりんの状況、それが強い文章で正確に剔出(てきしゅつ)されているので、読後に軽い文学的酩酊(めいてい)感に襲われる。作者の小説的実験は成功した。富岡多惠子氏の『西鶴の感情』は、入門書としてすこぶるおもしろく、また西鶴を読み尽くしたあとの仕上げの研究書としてもとても有益である。つまり間口が広く、奥行(おくゆき)が深い。
また、西鶴が俳諧師から小説家になったという文学史の通説を、氏は豊富な例証と鋭い読みから、みごとに引っくり返してしまうのは痛快である。西鶴は死ぬまで俳諧師であることをやめなかったという、この主題は鮮やかで、読む者の記憶に長く留(とど)まるだろう。永年の修業の手練の筆さばきは軽やか、そのために読みやすく、かつ同時に粘りのある文体は、主題を深く穿(うが)ってもいる。上から見ても下から見ても掛け値なしの傑作である。
【この選評が収録されている書籍】
朝日新聞 2005年12月22日
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