選評

『枯葉の中の青い炎』(新潮社)

  • 2018/06/17
枯葉の中の青い炎 / 辻原 登
枯葉の中の青い炎
  • 著者:辻原 登
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(242ページ)
  • ISBN:410132171X
内容紹介:
300勝達成を目前に苦闘する老いたスタルヒン投手に悲願を叶えさせるため、ひとたび間違えば大きな災いが襲うことを承知で密かに南洋の呪術を使う男の話「枯葉の中の青い炎」。1カ月だけ愛人と同棲したい、という夫の望みを聞き入れてやる妻が妖しい「ちょっと歪んだわたしのブローチ」。奇妙な匂いに誘われて、妻の妹をレイプしてしまった男のモノローグ「水いらず」。野球に天才的な能力を持ちながら不幸な人生をおくった同級生を、深い哀切の思いを込めて追想する「野球王」など、全6篇。

川端康成文学賞(第31回)

受賞作=辻原登「枯葉の中の青い炎」/他の候補作=金井美恵子「ピース・オブ・ケーキ」、山田詠美「間食」、清水博子「ないちがいち」、小川洋子「海」、小野正嗣「片乳」、稲葉真弓「私がそこに還るまで」、角田光代「雨をわたる」/他の選考委員=秋山駿、小川国夫、津島佑子、村田喜代子/主催=川端康成記念会/発表=「新潮」二〇〇五年六月号

集中と拡散の理想形

ある一点への緊迫した集中と、軽やかな拡散、この相反した二つの力が理想的に融合して、「枯葉の中の青い炎」(辻原登)の構造をつくっている。読者は、前者で緊張し、後者で解き放たれる。さらにそこへ現実世界と精神世界との並立と対立が投げ込まれる。そしてこの四つが、うまく按配されて全編に快いリズムを刻みつづけ、読む者を深く考えさせ、同時にわくわくと楽しませもする。これは近来、書かれた短篇小説の中の尊い上種である。つまりたいへんな傑作だ。

まず集中点は、一九五五年九月四日の京都・西京極球場のトンボ対大映戦へと絞られる。二千の観衆の見守る中、二百九十九勝投手、三十九歳のスタルヒンがマウンドに登る。もしもこの試合で勝利を得るなら、彼は前人未踏の三百勝を達成することになるだろう。この記念すべき試合の経過を、作者は濃淡書き分けの技法を巧みに駆使して活写する。そこで読者は時間と空間を超えてその一球一球に集中し、爽快な緊迫感を堪能することができる。

トンボのベンチでは、トラック環礁水曜島の大酋長の娘と日本人との混血児、第二線投手相沢進が、ハラハラしながら投手板を見つめている。彼はスタルヒンを尊敬している。そればかりかこの大投手の肩ならしの相手をつとめてもいるので、僚友としても愛している。拡散は、このロシア人投手と混血児投手を軸に展開する。すなわち、作者の筆は試合の途中で、スタルヒンの小伝へ飛び、その父の非業の最後を描き、水曜島での相沢進の生い立ちを語り、大酋長の魔術について詳説し、やがてすべてが総合されて感動的なクライマックスへ至る。要所にはゴーゴリやチェーホフや中島敦のエピソードを交えて、物語の骨組みを頑丈にしながら、そのことでまた読者をうれしがらせる。

面白くて深くて、こんがらかっているようでいて、じつは見晴らしがいいこと……これが小説という表現形式の、もともとの魅力だったはずだが、この作品にはそれがある。

【この選評が収録されている書籍】
井上ひさし全選評 / 井上 ひさし
井上ひさし全選評
  • 著者:井上 ひさし
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(821ページ)
  • ISBN:4560080380
内容紹介:
2009年までの36年間、延べ370余にわたる選考会に出席。白熱の全選評が浮き彫りにする、文学・演劇の新たな成果。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

枯葉の中の青い炎 / 辻原 登
枯葉の中の青い炎
  • 著者:辻原 登
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(242ページ)
  • ISBN:410132171X
内容紹介:
300勝達成を目前に苦闘する老いたスタルヒン投手に悲願を叶えさせるため、ひとたび間違えば大きな災いが襲うことを承知で密かに南洋の呪術を使う男の話「枯葉の中の青い炎」。1カ月だけ愛人と同棲したい、という夫の望みを聞き入れてやる妻が妖しい「ちょっと歪んだわたしのブローチ」。奇妙な匂いに誘われて、妻の妹をレイプしてしまった男のモノローグ「水いらず」。野球に天才的な能力を持ちながら不幸な人生をおくった同級生を、深い哀切の思いを込めて追想する「野球王」など、全6篇。

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初出メディア

新潮

新潮 2005年6月

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