選評
『枯葉の中の青い炎』(新潮社)
川端康成文学賞(第31回)
受賞作=辻原登「枯葉の中の青い炎」/他の候補作=金井美恵子「ピース・オブ・ケーキ」、山田詠美「間食」、清水博子「ないちがいち」、小川洋子「海」、小野正嗣「片乳」、稲葉真弓「私がそこに還るまで」、角田光代「雨をわたる」/他の選考委員=秋山駿、小川国夫、津島佑子、村田喜代子/主催=川端康成記念会/発表=「新潮」二〇〇五年六月号集中と拡散の理想形
ある一点への緊迫した集中と、軽やかな拡散、この相反した二つの力が理想的に融合して、「枯葉の中の青い炎」(辻原登)の構造をつくっている。読者は、前者で緊張し、後者で解き放たれる。さらにそこへ現実世界と精神世界との並立と対立が投げ込まれる。そしてこの四つが、うまく按配されて全編に快いリズムを刻みつづけ、読む者を深く考えさせ、同時にわくわくと楽しませもする。これは近来、書かれた短篇小説の中の尊い上種である。つまりたいへんな傑作だ。まず集中点は、一九五五年九月四日の京都・西京極球場のトンボ対大映戦へと絞られる。二千の観衆の見守る中、二百九十九勝投手、三十九歳のスタルヒンがマウンドに登る。もしもこの試合で勝利を得るなら、彼は前人未踏の三百勝を達成することになるだろう。この記念すべき試合の経過を、作者は濃淡書き分けの技法を巧みに駆使して活写する。そこで読者は時間と空間を超えてその一球一球に集中し、爽快な緊迫感を堪能することができる。
トンボのベンチでは、トラック環礁水曜島の大酋長の娘と日本人との混血児、第二線投手相沢進が、ハラハラしながら投手板を見つめている。彼はスタルヒンを尊敬している。そればかりかこの大投手の肩ならしの相手をつとめてもいるので、僚友としても愛している。拡散は、このロシア人投手と混血児投手を軸に展開する。すなわち、作者の筆は試合の途中で、スタルヒンの小伝へ飛び、その父の非業の最後を描き、水曜島での相沢進の生い立ちを語り、大酋長の魔術について詳説し、やがてすべてが総合されて感動的なクライマックスへ至る。要所にはゴーゴリやチェーホフや中島敦のエピソードを交えて、物語の骨組みを頑丈にしながら、そのことでまた読者をうれしがらせる。
面白くて深くて、こんがらかっているようでいて、じつは見晴らしがいいこと……これが小説という表現形式の、もともとの魅力だったはずだが、この作品にはそれがある。
【この選評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする