選評

『袋小路の男』(講談社)

  • 2019/06/13
袋小路の男 / 絲山 秋子
袋小路の男
  • 著者:絲山 秋子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(184ページ)
  • 発売日:2007-11-15
  • ISBN:4062758849
内容紹介:
高校時代から指一本も触れないまま、「あなた」を想い続けた12年。表題作は<現代の純愛小説>と絶賛され、川端康成文学賞を受賞。

川端康成文学賞(第三〇回)

受賞作=絲山秋子「袋小路の男」/他の候補作=高井有一「殺されなかつた子供たち」、黒井千次「丸の内」、玄月「運河」、宗左近「故郷の名」、佐江衆一「長きこの夜」、湯本香樹実「アンタロマの爺さん」、伊井直行「掌」、長嶋有「夕子ちゃんの近道」、宮崎誉子「POPザウルス(A面)」/他の選考委員=秋山駿、小川国夫、津島佑子、村田喜代子/主催=川端康成記念会/発表=「新潮」二〇〇四年六月号

話法の勝利

絲山秋子さんの「袋小路の男」では、どんなに小さなものであれとにかく責任というものが発生するのをひたすらおそれて、一センチも前へ進むことができずにいる男と女の滑稽な悲劇が、あるいは惨めな喜劇が、叙事的に同時に叙情的に、みごとに書かれている。悲劇と喜劇、叙事と叙情、たがいに対立するものが巧みに解け合っているのは、たえず〈あなた〉と呼びかける話法の工夫が冴えわたっているからだ。

ハンサムでクールかつダンディな眼鏡の高校二年生の〈あなた〉に、同じ高校の一年下の女の子が一方的な恋をする。この女の子〈私〉は、そのあと十二年にわたって、その気持を保ちつづけるのだが、その間、〈あなた〉は、頭はいいのに度胸がないのか試験に弱くて大学に受からず、新宿の薄暗いジャズバーでカクテルをこしらえながら、小説の懸賞募集に投稿しつづける。一度は絶望して、薬と酒を飲んで二階のベランダから飛び降りたこともある。二階のベランダ!……死ぬ勇気もないのだ。語り手の〈私〉の方も、局面を打ち破るために、〈行き止まりの世界から脱出できる。一度だけ、あなたの未来を私が借りる。心中。……生まれ変わってもあなたはやっぱりあなただろうから、私はあなたの家の猫になる。〉と思い詰めて車を暴走させるが、〈しかし150キロで何にぶつかればいいんだろう。決め手を欠いているうちに小諸インターについてしまった。〉というわけで未遂。それでも〈私達は指一本触れたことがない〉という中途半端な関係である。

真っ正面から書けば、愛の責任をおそれて尻込みばかりしている、煮え切らない恋物語で、たいていの読み手が途中で放り出してしまうはずだが、〈あなた〉への〈私〉の恋の報告書、つまり長い恋文という話法が、結構の弱さを十分に補った。結構の弱い箇所は良質の叙情で隠し(恋文だから文体がどんなふうに転換してもかまわない)、ときには、「あなたにとって私って何なんですか」/あなたは数秒考えて、そしてカタカナで答えた。/「ワカラナイ」〉といった切れ味のいい会話で躱しながら、作者は、ちかごろ稀な純愛小説を仕上げてしまった。どんな人間であれ、ある人間にとっては、この上ない愛の対象になりうるという、愛のふしぎな普遍性をしっかりと読み手の前に提出したのである。

【この選評が収録されている書籍】
井上ひさし全選評 / 井上 ひさし
井上ひさし全選評
  • 著者:井上 ひさし
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(821ページ)
  • ISBN:4560080380
内容紹介:
2009年までの36年間、延べ370余にわたる選考会に出席。白熱の全選評が浮き彫りにする、文学・演劇の新たな成果。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

袋小路の男 / 絲山 秋子
袋小路の男
  • 著者:絲山 秋子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(184ページ)
  • 発売日:2007-11-15
  • ISBN:4062758849
内容紹介:
高校時代から指一本も触れないまま、「あなた」を想い続けた12年。表題作は<現代の純愛小説>と絶賛され、川端康成文学賞を受賞。

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初出メディア

新潮

新潮 2004年6月号

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