書評
『夏空よりも永遠に』(東京書籍)
世代論は嫌いだが、なんてマクラはふらないことにしよう。見上ぐれば団塊、ふり向けば新人類という、われら色のない谷間の世代にこれぞわれらがものといえる本がやってきた。『夏空よりも永遠に』がそれ。著者の岡山徹さんは一九五一年生まれ、杉並育ち、小羊幼稚園中退。
日本初の園児小説だそうである。
主人公たくみ君が三十円を持ってひとりでラーメン屋に入るところから始まる。「あれ、大石さんのぼっちゃん、いいのかい」。幼児にこんな応対をするラーメン屋がいまどき、あるだろうか。店のラジオからは春日八郎が流れ、たくみ君は曲にあわせて口ずさむ。
「いきな黒兵衛、みこしのマークに、あだ名春日の便所紙……死んだはずだよ、お富さん」そうなのよ、子供にはそう聞こえるんだ。ある時代を感受するとはこういうことなんだ、といった印象的な情景が次々現われる。
「いきな黒塀見越しの松って……」ときく子供に「つまり囲い者のお富はだな……」といいかけると、おばさんは「……あんた」とたしなめる。そのおじさんの灰色眉毛がすごく伸びていて、たくみ君はハサミで切りたくなる。あるある、人形の毛や猫のしっぽを切りたくなる年頃が。
弁当を分けてくれた大工のおじさんは、あっという間に木切れで箸をつくる。ツツムシという仇名の伯父は玉電を無賃乗車して甥を渋谷のニュース映画に連れていく。無類の商売好きのおばあちゃんは孫のたくみ君で客の気を引いて海苔の訪問販売に精を出す。おとうさんは発明家で、押し入れで日光写真の焼き付けセットの開発に夢中。ヘンな大人たちが親類、近所にわんさといて、子供と対等につきあってくれたのだ。
みんなの前でじぶんへの愛を打ちあけておしっこをもらした町子ちゃんに、たくみ君は「僕のほんとうのお嫁さんだよ!」と叫ぶ。飛行機ビラ、『ノンちゃん雲に乗る』の映画、死んだ犬の首輪の臭い、紅梅キャラメルの野球力ード、コカコーラのびんを配し、悲しみをひと刷毛はいて、この夏空の絵はぐっと生きた。レトロというなかれ。これは私たちの生存の根拠を描き、日本が三十年で何を失ったかを明白にした小説である。
【この書評が収録されている書籍】
日本初の園児小説だそうである。
主人公たくみ君が三十円を持ってひとりでラーメン屋に入るところから始まる。「あれ、大石さんのぼっちゃん、いいのかい」。幼児にこんな応対をするラーメン屋がいまどき、あるだろうか。店のラジオからは春日八郎が流れ、たくみ君は曲にあわせて口ずさむ。
「いきな黒兵衛、みこしのマークに、あだ名春日の便所紙……死んだはずだよ、お富さん」そうなのよ、子供にはそう聞こえるんだ。ある時代を感受するとはこういうことなんだ、といった印象的な情景が次々現われる。
「いきな黒塀見越しの松って……」ときく子供に「つまり囲い者のお富はだな……」といいかけると、おばさんは「……あんた」とたしなめる。そのおじさんの灰色眉毛がすごく伸びていて、たくみ君はハサミで切りたくなる。あるある、人形の毛や猫のしっぽを切りたくなる年頃が。
弁当を分けてくれた大工のおじさんは、あっという間に木切れで箸をつくる。ツツムシという仇名の伯父は玉電を無賃乗車して甥を渋谷のニュース映画に連れていく。無類の商売好きのおばあちゃんは孫のたくみ君で客の気を引いて海苔の訪問販売に精を出す。おとうさんは発明家で、押し入れで日光写真の焼き付けセットの開発に夢中。ヘンな大人たちが親類、近所にわんさといて、子供と対等につきあってくれたのだ。
みんなの前でじぶんへの愛を打ちあけておしっこをもらした町子ちゃんに、たくみ君は「僕のほんとうのお嫁さんだよ!」と叫ぶ。飛行機ビラ、『ノンちゃん雲に乗る』の映画、死んだ犬の首輪の臭い、紅梅キャラメルの野球力ード、コカコーラのびんを配し、悲しみをひと刷毛はいて、この夏空の絵はぐっと生きた。レトロというなかれ。これは私たちの生存の根拠を描き、日本が三十年で何を失ったかを明白にした小説である。
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