前方後円墳の不思議な形はいったい何に由来するのか。この素朴な疑問から、二十年を超える知的探検の旅が始まった。学界ではすでにいくつもの仮説が立てられたが、著者は新聞記者として現場を取材しているうちに、この古代史の謎に惹かれるようになった。学者に転身してからさらに研鑽を重ね、東アジアにおける神仙思想の広がりという視点から日本の古代史を読み解こうとした。本書はその二十年来の足跡と辛抱強い調査研究の結果をまとめたものだ。
中国の伝説によると、渤海(ぼっかい)には蓬莱(ほうらい)、瀛洲(えいしゅう)、方丈という「三神山」があり、いずれも壺の形をしている。そこには仙人たちが住んでおり、不老不死の仙薬があるという。秦の始皇帝が徐福を派遣し、遠く海を渡って蓬莱山を探させようとしたのは仙薬を求めるためで、長寿不老のシンボルとしてよく用いられている鶴亀や松竹は、蓬莱山の図像表象にもとつくものだ。
前方後円墳は横に倒した壺型であり、その形は古代人のユートピアである「蓬莱山」をイメージしたものだ。この想像力に富む説を聞くだけでも、夢が止めどなく膨らむのだが、著者はここからさらに一歩踏み込んで、蓬莱山への憧れは都城をはじめ、庭園、詩歌、物語、美術、民俗などさまざまな面に及んでいると説いている。挙げられている例を見ると、確かに仙境の表象は文化の細部にちりばめられている。
一九九九年五月、飛鳥京跡の付属苑池が見つかり、遺構を調査したところ三神山を表している場所があることがわかった、古代中国と朝鮮半島の王宮苑池にも同様の遺跡が発見され、蓬莱憧憬と庭園様式との関連性は東アジア文化のなかで広く認めることができる。文学にはその表徴がさらに顕著で、『万葉集』や『懐風藻』などの作品には、「蓬莱山」に関係することばがよく現れてくる。神仙思想は人々が想像したよりも早くから広く受け入れられていた。
扶桑樹は想像上の植物で、中国の神話では太陽の昇る樹とされている。詩文には散見され、中国の画像石や墓の出土品にもよくあらわれるイコンだ。著者は藤ノ木古墳の金銅冠や福岡県珍敷(めずらし)塚の壁画などの例を挙げ、扶桑樹のイメージがさまざまに変容しながら、日本的な展開を見せていると指摘する。
むろん、前方後円墳の形も扶桑樹の図像的な伝播も、あるいは卑弥呼の死因についての解釈もいまの時点ではあくまでも仮説にすぎない。しかし、古代東アジアにおける文化交流を考える上で示唆に富む。歴史学において仮説の提起は新しい史料によって反証されることもあるが、かりに考古学の発見などによって十分に確かめられれば、理論として認められるであろう。批判を恐れず、異論や反論を見越した上で、あえて一石を投じる度胸には頭が下がる。
ふつうの研究書とちがって、記者という「外の目」も用意されている、高松古墳の壁画や、稲荷山古墳出土の鉄剣から雄略天皇の名前と思われる金象嵌(ぞうがん)の文字の発見について、研究現場の緊張と熱気ぶりがありありと再現されて興味深い。いくつかの章の末尾に「コラム」が配されている。長い論考を読んだ後、一息を入れるのにぴったりの内容である。
全書を通読して深く印象に残ったのは、古代史研究に向ける著者の情熱である。日本にとどまらず、中国や朝鮮半島の資料を広く渉猟し、最新の研究成果を博引旁賞する奮闘ぶりから、歴史に向ける著者の熱い思いを感じ取ることができる。
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