書評

『「ボヴァリー夫人」論』(筑摩書房)

  • 2018/04/09
「ボヴァリー夫人」論 / 蓮實 重彦
「ボヴァリー夫人」論
  • 著者:蓮實 重彦
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(850ページ)
  • 発売日:2014-06-27
  • ISBN-10:4480838139
  • ISBN-13:978-4480838131
内容紹介:
フローベールの最初の長編小説を徹底的に読み抜くことによって、その「テクスト的な現実」に露呈するさまざまな問題を縦横に論じる。歳月をこえた書き下ろし2000枚、遂に完成!

彼女の驚くべき“死因”明らかに

誰もがその名を知るフローベールの代表作、『ボヴァリー夫人』とは、どんな作品か。田舎医者との平凡な結婚生活に倦(う)んだヒロインが、不倫と借金を重ねた挙げ句に自殺する話。彼女のロマンティックな憧れは、凡庸な現実の前に敗れ去る。写実主義文学の先駆け。裁判沙汰でベストセラー。「ボヴァリー夫人は私だ」。教科書的にはそんなところだろうか。

本文だけで700頁(ページ)を超える本書は、この長編小説を徹底して読み抜こうとする試みだ。顕微鏡めいた精細度でテクストが執拗(しつよう)に反復解析され、並行してこれまで蓄積された内外の膨大な批評が――しばしば批判的に――参照される。とはいえ著者が強調するように、本書は門外漢を寄せ付けない「学術書」などではない。きわめて巧みに構成された「批評的なエッセイ」なのである。

「古典とは、誰もが知っているが、誰も読まない文学のことである」とマーク・トウェインは言ったが、本書に立ち現れるのも、まさに誰も読んだことのない『ボヴァリー夫人』である。

著者によれば、従来のこの古典に対する読みの多くは、冒頭に並べた紋切り型に代表されるような誤解に満ちている。その証拠に、かなり慎重な批評家ですら、「エンマ・ボヴァリーは自殺した」などと平然と記す。実は、この長編小説中に「エンマ・ボヴァリー」なる固有名は一度たりとも登場していないにもかかわらず。無造作にこの固有名を取り扱うものは、この長編の「テクスト的現実」を理解しているとは言いがたいのだ。

ならば「テクスト的現実」とは何か。著者によれば散文の一形式である「小説」は、「現実」の反映でもなければ教訓や風刺のための「物語」ですらない。そればかりか、作家性や象徴性に依拠した読みすらもことごとく禁欲しつつ、著者はひたすらテクストに固有の「現実」に焦点をあてようとする。

テクストの「現実」と言っても、それは言語学的な分析を意味しない。物語やイメージは、テクストよりも先に存在するとは限らない。構造や文脈を超えたところでストーリーを変化させるのは、著者も言うようなテクストの細部の配置である。この配置のありようにおいて、テクスト的現実が機能する。

それゆえ著者はまず、「主題論」的な読解を試みる。少なからず破綻や矛盾をはらむこの長編小説においては、ある種の細部が反復される。それは「足の不調」(5章)であったり、「塵埃(じんあい)と頭髪」(6章)であったり、「三」という数字の支配(9章)であったりする。こうした読解から導かれるのは、例えば夫であるシャルル・ボヴァリーと妻であるエンマの驚くべき相似性である。彼らは兄妹のように似通っているからこそ、その不和は必然であった、というのだ。

こうした読みと並行して「説話論」的な読解が進められる。著者は、作者とも登場人物とも異なる「話者」という超越的なポジションを設定する。この話者によって語られるテクストそれ自体の自律性、そのメカニズムを解析することが説話論的な読解であると、ひとまずは言いうるだろう。

たとえば、これといった個性を欠き、凡庸さの代名詞のように処遇されてきた田舎医者シャルル・ボヴァリーの、エンマの死後における唐突な変貌ぶり。彼は薬剤師オメーの助言を突っぱね、司祭に〓神(とくしん)の言葉を吐き、妻の棺を三重にせよと謎の指示を出した挙げ句、一人妻の遺骸を前に、彼女が「気化」して周囲の光景へと溶け込んでいくさまを見つめる。この真摯(しんし)な別れの身振りとシャルル自身が迎えることになる「庭先での真昼の死」の完璧な呼応ぶりこそが、著者の言う「テクスト的現実」のもたらす効果でなくて何だろうか。

10章をかけて著者のこうした手法と語り口に馴染(なじ)んできた読者すらも唖然(あぜん)とさせるのは、終章「読むことを終えるにあたって」である。エンマは夢破れて毒をあおったのではない。まして借金苦に追い詰められたわけでもない。そうした「物語」論的な読みや心理主義的な解釈からは決して見えてこなかったであろう、彼女の驚くべき“死因”が明かされる。

著者の言うごとく、本書は著者自身の「生涯の書物」、あるいはこの古典に対する批評の決定版たることは意図されていない。本書がなしとげたのは、『ボヴァリー夫人』という名を持つ「長編小説」が、その背景に「散文」生誕の「昨日性」ないし「事件性」をはらみつつ、いまだ「文学」との「公式の関係」を結びそびれている「孤児」のような作品であることを説得的に示すことだった。

もちろんそれは『ボヴァリー夫人』に限った話ではない。およそ「古典」と目される書物は、いかなる体系にも安住しがたい不安定さをはらみつつ、あらたな批評と解釈によって更新され続けるアーカイブの総体そのもののことではなかったか。本書はその終わりなき過程を励起し加速するという意味で、あらゆる批評精神を扇動してやむことのない不穏な傑作である。
「ボヴァリー夫人」論 / 蓮實 重彦
「ボヴァリー夫人」論
  • 著者:蓮實 重彦
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:単行本(850ページ)
  • 発売日:2014-06-27
  • ISBN-10:4480838139
  • ISBN-13:978-4480838131
内容紹介:
フローベールの最初の長編小説を徹底的に読み抜くことによって、その「テクスト的な現実」に露呈するさまざまな問題を縦横に論じる。歳月をこえた書き下ろし2000枚、遂に完成!

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毎日新聞 2014年8月31日

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