「謎と未知」の監督を語り合った全記録
昨年、小津安二郎の生誕百年を記念して大規模なシンポジウムが開かれた。世界から集まった豪華なゲストたちは、二日間満員の聴衆がつめかけたことに感激した。その全記録である。三百ページほどの本だが、中身はとてつもなく濃い(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆年は2003年)。会の冒頭で、蓮実重彦は小津安二郎を未知の監督として定義しなおす。戦前の小津映画では、田中絹代や八雲恵美子がピストルを構えていた。さすがに、戦後は原節子が拳銃を手にするわけにもいかないから、新珠三千代や司葉子や京マチ子が手にもったものをどんどん放りなげた。小津作品は戦前から一貫して女性のアクション映画だったのだ。なるほど、小津は未知の監督なのである。
吉田喜重は、九歳で見た『父ありき』の川釣りの場面を語る。渓流に並んだ父と息子の少年が、同じ釣りの動作を反復する。ふと父が少年に別れが近いことを告げる。すると、少年の反復の動作が次第にずれていき、釣りは終わってしまう。人生は日常の反復である。だが、いつのまにかずれが入りこみ、同じ行為が変質してしまう。反復とずれ、それが人生の時間の意味だと吉田少年は直感した。
小津は映画を観客に「見せる」ことをきらった。ただ曖昧なままに「見られる」ことだけを願った。そこから小津映画の謎めいた印象が生まれてくる。
この吉田喜重のいう小津映画の謎めいた曖昧さをめぐって、世界から集まった映画評論家と監督たちが次々に言葉をつむぐ。小津の謎と未知こそがこのシンポジウムの原動力なのである。
小津映画の不思議さを前にして、オリヴェイラが、キアロスタミが、ホウ・シャオシェンが、自分の映画作りの根本について省察をめぐらし始める。そのたびに会場は、映画という謎と未知にたちむかう厳粛な畏れに包まれていく。
九十歳近い井上雪子をはじめ、岡田茉莉子や香川京子など、小津映画に出演した女優たちの話も興味ぶかい。井上雪子は岡田茉莉子の父・時彦と小津映画で共演していた。一歳で父を亡くした茉莉子は初めて映画での父の声を耳にする。そこがシンポジウムの感動の頂点である。