書評
『人志とたけし: 芸能にとって「笑い」とはなにか』(晶文社)
すべてを「ネタ化」し、自陣に持ち込む手法
朝も昼もワイドショーの司会やコメンテーターに並ぶのは芸能人ばかりだ。よく知らないけど、という前提にすがりつつ、大胆なことを言う。発言が炎上すれば、「最近、何言ってもネットが……」と、自分に向かう声を大雑把に処理する。その業界の強者である自覚を持ち、周囲も当人の自覚を崩そうとはしないので、なんでも言えてしまう。松本人志論とビートたけし/北野武論を中心に、多くの論者との対話を加えた一冊は、現代社会と芸能界の相互作用を解く。著者は、松本について「圧倒的にからっぽな空無がひろがっているのではないか」とする。彼が作った映画には「ぜんぶ台無し」の展開が多い。大ヒットした松本のエッセー集を改めて読んだ感想は、「なんなんだろう、このつまらない本は」。
「ワイドナショー」での、政権に擦り寄るコメントは、そもそも論旨として破綻しているものが多く、彼に向かう世間の批判も乱雑で単純になる。松本批判を展開した雑誌『週刊金曜日』の特集について、著者は「松本人志という人間の存在と笑いの質に、批判の言葉が匹敵していない、と感じられた」としたが、どんな力学であろうと時事を語る場に進出してきた以上、その質は笑いの文脈と離れたところでも問われるべきではないか。
対談で参加したライター・西森路代が、芸人にインタビューすると、「真面目に話すこと」を「否定する人」が多く、「どんな話題に対しても、どこかはぐらかしたり、ずらしたりしてネタ化」すると述べている。この感覚が日常に侵入してきているのではないか。つまり、テレビの前の私たちまでもがその「ネタ化」を繰り返し、それが芸人の乱雑な言説の放置を生んでいる可能性があるのでは……等々、とにかく議論に参加したくなる。
ALL REVIEWSをフォローする