書評

『社会システムの生成』(弘文堂)

  • 2017/12/19
社会システムの生成 / 大澤 真幸
社会システムの生成
  • 著者:大澤 真幸
  • 出版社:弘文堂
  • 装丁:単行本(520ページ)
  • 発売日:2015-11-30
  • ISBN-10:433555172X
  • ISBN-13:978-4335551727
内容紹介:
「第三者の審級」「求心化作用/遠心化作用」などが生み出された記念碑的な論考群。大澤社会学の思考の原点と骨格を開示する。

批判の武器としての社会理論追求の試み

わが国の理論社会学を牽引(けんいん)する大澤真幸氏が、主著『身体の比較社会学』ほかと並行して書き進めた先駆的な論文を、集めて一冊にした。ほとんどが一九九○年代の発表だ。そのあとをたどると、社会学が何を課題とし、時代が何を考えさせたかが明確に浮かびあがる。

取り上げられる素材は多様だ。人類学の描く民族誌。散逸構造論。カオスの数理。構造−機能理論。ヴァレラ&マトゥラーナのオートポイエーシス論とルーマンの社会システム論。ハイエクの経済学。ヴィトゲンシュタインのルールをめぐる議論、などなど。それぞれの分野の最先端の展開を縦横に関連づけて、大澤社会学の骨格が形成された。《「第三者の審級」「求心化/遠心化作用」といった、私の社会学の諸概念は、ここに収録した論文の中で生み出され、また彫琢(ちょうたく)された。これらの概念は、この論文の中では生成の渦中にある。》(あとがき) 大澤氏の思索の軌跡が、また、同時代の理論社会学の高峰を結ぶ世界水準の稜線(りょうせん)が、くっきりと描き出されている。

序に収められた「社会学理論のツインピークスを越えて」は二○一四年の執筆で、大澤社会学のこれまでの歩みを現時点からふり返る。《社会学理論の双子の頂点とは、ニクラス・ルーマンとミシェル・フーコーである。》 ルーマンは社会を、オートポイエティック(自己生成的)なシステムと捉えた。社会システムはコミュニケーションでできており、外がない。フーコーは社会を権力が満たしており、人間の主体も権力が生み出したものだとする。「システム」や「権力」の前では人間は無力で、批判もならずにただ傍観するしかない。これに対して大澤氏は、「システム」や「権力」にあたる「第三者の審級」によって、社会は成り立っているのだと想定する。さらに、私と他者が同時に生成するメカニズムである、「求心化/遠心化作用」にも着目するので、ルーマンやフーコーの陥った隘路(あいろ)から脱(ぬ)け出せるとする。興味ぶかい独創的な見取り図である。

この見取り図をさらに拡(ひろ)げて、二○世紀後半以後の社会理論が何を論じようとしたか、そこに至る系譜を評者なりに整理してみよう。

西欧の哲学は、神学から枝分かれして誕生した。世界を創造した神は世界の中には存在しない。端的に信じるべき外だと、神学は言う。哲学は、世界は理性で理解できるが、神については語りえないとする。神が存在してもしなくても、世界について理性が語りうるのなら、神は必要ないではないかと、啓蒙(けいもう)思想は考える。カントは理性の限界を批判的に考察し、語りえぬ外の場所を残しながら、合理主義を貫いた。ヘーゲルは、いやすべてを語れるとし、合理的で観察可能な世界がそこから生成してくるメカニズムを、疎外論として組み立てた。ヘーゲルが想定する疎外論の根底(外)を、マルクスは精神から物質に置き換えた。マルクス主義はそうやって、現実の社会を批判する根拠を手にしたのだ。

さて、マルクス主義の「大きな物語」が壊れた。ルーマンもフーコーも、マルクス主義の廃墟(はいきょ)の中から現れた。マルクス主義は唯物論で、社会の外に物質を置き、マルクス主義に服従しない自由な理性を「虚偽意識」だと批判した。それに懲りたルーマンもフーコーも、社会の外には何も置かない。社会の外に実在するとみえるものも、社会の生み出した仮象である。こう想定した結果、現実の社会を批判し積極的に発言する足場も失ったのではないか。

こう考えられるとすると、社会理論のテーマは、社会の全体とその外との関係である。近代の初頭、啓蒙思想は社会の外に「自然」を発見して、旧体制を批判する根拠とした。批判の武器は理性だった。ポスト近代といわれるいま、自然や理性に匹敵する批判の武器はあるのか。大澤氏の展開する社会システム論は、その可能性を誰よりも徹底して追い求める試みである。

近代の草創期に理性がなぜ、社会科学の起点となったかと言うと、理性は神から与えられた能力で、社会の生成に先立っていたから。理性は社会の外にあり、社会を批判する実証的な議論の足場となった。

マルクス主義や精神分析や構造主義やシステム理論を経由した現代の社会理論は、理性が社会の外にあると素朴に考えるのをやめた。社会をとらえる理論も、その社会の制約を受けているのではないか。こうして社会理論は必然的に、自己言及のかたちをとる。だが自己言及のかたちをとる限り、理論は、正直であるとしても、切れ味が悪くなる。先端的な理論家の苦悩はここにある。

社会理論は結局、社会を学問的に考察する足場を、社会のなかのどこに設定するかという、アイデアの勝負になる。大澤氏はそれを「第三者の審級」、ならびに「求心化/遠心化作用」においた。いずれも社会が完全に成立する以前の、人間個々人のなかに社会が宿るメカニズムだ。そこから社会システムが「生成」することを、論証できるのか。この試みがどう豊かな実を結ぶか、目を離すことができない。
社会システムの生成 / 大澤 真幸
社会システムの生成
  • 著者:大澤 真幸
  • 出版社:弘文堂
  • 装丁:単行本(520ページ)
  • 発売日:2015-11-30
  • ISBN-10:433555172X
  • ISBN-13:978-4335551727
内容紹介:
「第三者の審級」「求心化作用/遠心化作用」などが生み出された記念碑的な論考群。大澤社会学の思考の原点と骨格を開示する。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2016年1月10日

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