書評
『増補改訂 日本の無思想』(平凡社)
戦後日本の思想状況を加藤氏は、「裸の王様」にたとえる。裸なのはみえているのに、誰も言葉にしないので、自分だけが間違っていると思いこむ。嘘をまにうけていることを、気づかなくさせるほど深い自己欺瞞が支配しているという。
なぜか。それは、日本の国民が、自分の価値観を根こそぎにされるほど徹底的に敗れたからだ。敗戦のあと、手のひらを返したように民主主義になびいた。アメリカ占領軍が去れば、いやあれはあの場かぎりと言いつくろった。
ここから、ホンネ/タテマエの区別がうまれる。この二分法は、古くからのものにみえるが、著者はそれがごく新しい、戦後に現れた言い方であることを発見した。口に出さなくても、ホンネはホンネ――言葉を信じないニヒリズムが、思想を不可能にするものの正体だと、著者は看破する。
政治家の失言問題を入り口に、ホンネ/タテマエの区別の起源を追いかけて、本書は、大日本帝国憲法が信教の自由を規定する仕方、古代ギリシャや西欧近代における公共的なもの/私的なものの区分、にさかのぼる。そして、公共的なものを支えるのは、私情(私利私欲)以外でありえないという結論にたどりつく。
『敗戦後論』、『可能性としての戦後以後』と、問題作を矢つぎばやに発表している加藤氏が、《いいたいことをそのまま普通の人が読める具合に書いてみ》たのが、本書である(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は199年)。たしかに読みやすい。しかも、内容のほうは妥協なしに、ぎりぎりの厳しい線を追っている。思想の閉塞を乗り越えて進むヒントが、いくつも隠れている。
では、ニヒリズムの診断がついたところで、それをどう克服できるのか。それにはやはり《言葉が力をもつ空間を回復》し、公共的なものの復権をはかることだと、加藤氏は言う。決して新しい提言ではないが、実行するのは容易でない。「王様は裸だ」と口に出す一人ひとりの勇気が、嘘をつき崩すしかないのだ。
【この書評が収録されている書籍】
なぜか。それは、日本の国民が、自分の価値観を根こそぎにされるほど徹底的に敗れたからだ。敗戦のあと、手のひらを返したように民主主義になびいた。アメリカ占領軍が去れば、いやあれはあの場かぎりと言いつくろった。
ここから、ホンネ/タテマエの区別がうまれる。この二分法は、古くからのものにみえるが、著者はそれがごく新しい、戦後に現れた言い方であることを発見した。口に出さなくても、ホンネはホンネ――言葉を信じないニヒリズムが、思想を不可能にするものの正体だと、著者は看破する。
政治家の失言問題を入り口に、ホンネ/タテマエの区別の起源を追いかけて、本書は、大日本帝国憲法が信教の自由を規定する仕方、古代ギリシャや西欧近代における公共的なもの/私的なものの区分、にさかのぼる。そして、公共的なものを支えるのは、私情(私利私欲)以外でありえないという結論にたどりつく。
『敗戦後論』、『可能性としての戦後以後』と、問題作を矢つぎばやに発表している加藤氏が、《いいたいことをそのまま普通の人が読める具合に書いてみ》たのが、本書である(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は199年)。たしかに読みやすい。しかも、内容のほうは妥協なしに、ぎりぎりの厳しい線を追っている。思想の閉塞を乗り越えて進むヒントが、いくつも隠れている。
では、ニヒリズムの診断がついたところで、それをどう克服できるのか。それにはやはり《言葉が力をもつ空間を回復》し、公共的なものの復権をはかることだと、加藤氏は言う。決して新しい提言ではないが、実行するのは容易でない。「王様は裸だ」と口に出す一人ひとりの勇気が、嘘をつき崩すしかないのだ。
【この書評が収録されている書籍】
朝日新聞 1999年7月25日
朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。
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