書評
『レッド・ドラゴン』(早川書房)
これは一口で言うと、非常に怖い小説である。
アイデテカー(直感像所有者)という、一種の超能力を備えたFBIの捜査官ウィル・グレアムは、鋭い直感を武器に異常犯罪者の精神状態を事件現場で感応し、犯人像を割り出すという特技の持ち主だった。その特技を駆使して探し当てた犯人の一人に、グレアムは逆襲されて重傷を負う。その傷もようやく癒え、家族と静養している彼のところへ、もとの同僚がまた新たな異常犯罪を持ち込んで来る。グレアムは心配する妻のモリーをなだめて、いやいやながら現場へ復帰する。
新たにグレアムに挑戦してきたのは、一家五人を皆殺しにしたあと死体に噛みつくという、異常な殺人鬼だった。この殺人鬼の設定と描写が、何よりも本書に凄まじい迫力を与えている。犯人のフランシス・ダラハイドは、表向きはただの気むずかしいフィルム・ラボラトリーの技師だが、肉体的なハンディと幼時の体験からくる深い精神的外傷に駆り立てられて、残虐な殺人に走る。作者はグレアムよりも、むしろダラハイドの方に感情移入しており、それがよけいに読者をぞっとさせるのである。
ダラハイドは、ウィリアム・ブレイクの絵画『大いなる赤き竜と日をまとう女』に魅せられ、赤い竜、つまりレッド・ドラゴンに操られるように犯行を繰り返す。ダラハイドの異常さ、狡猪さは恐ろしいまでに魅力的であり、グレアム以下の捜査陣の描写が色槌せてみえるほどである。
後半でダラハイドは盲目の女レバと親しくなり、ベッドをともにするほどの仲になる。レバに惹かれながらも、この女に噛みついたらどんな気がするだろうと考える場面など、ぞくぞくさせるテクニックは心憎いばかりで、ヒッチコックばりのストーリーテラーといってよい。
もっとも、自分の犯行を見破ったグレアムを半殺しの目にあわせ、精神病院の独房に監禁されているもう一人の異常犯罪者、レクター博士の扱いが中途半端に終わっている点など、構成上いくつか欠点がないでもない。しかし全体としてみれば、無駄のない引き締まった作品といえる。
異常心理をテーマにした犯罪小説は少なくないが、この作品はそのどれよりもスリリングである。ある意味では、スティーヴン・キングの恐怖小説に匹敵するものがある。警察ものとして読んでも、科学捜査の過程が正確かつ詳細に書き込まれており、作者がこの分野に関して並々ならぬ知識を持っていることが分かる。
作者のトマス・ハリスは、何年か前に『ブラックサンデー』でデビューしたジャーナリスト出身の作家である。『レッド・ドラゴン』がやっと二作めというから、ずいぶん寡作であるが、それだけに作品の密度は濃い。前作も、アラブとイスラエルの対立をテーマにした、緊迫感に溢乃れる活劇小説だった。映画化もされたが、政治的な理由で圧力がかかり、お蔵入りになったと記憶している。本作品も映画になるらしいが、残酷描写の問題や異常性格犯罪者の扱いなど、むずかしい問題がいくつかあるように思われる。
なおこの小説は、少々あっけない終わり方をするように見えるが、最後まで気を抜かずにじっくり読まれるようにおすすめする。ちょっと気が早いかもしれないが、今年度の翻訳ミステリーのベスト3を狙える作品である(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1985年)。
【この書評が収録されている書籍】
アイデテカー(直感像所有者)という、一種の超能力を備えたFBIの捜査官ウィル・グレアムは、鋭い直感を武器に異常犯罪者の精神状態を事件現場で感応し、犯人像を割り出すという特技の持ち主だった。その特技を駆使して探し当てた犯人の一人に、グレアムは逆襲されて重傷を負う。その傷もようやく癒え、家族と静養している彼のところへ、もとの同僚がまた新たな異常犯罪を持ち込んで来る。グレアムは心配する妻のモリーをなだめて、いやいやながら現場へ復帰する。
新たにグレアムに挑戦してきたのは、一家五人を皆殺しにしたあと死体に噛みつくという、異常な殺人鬼だった。この殺人鬼の設定と描写が、何よりも本書に凄まじい迫力を与えている。犯人のフランシス・ダラハイドは、表向きはただの気むずかしいフィルム・ラボラトリーの技師だが、肉体的なハンディと幼時の体験からくる深い精神的外傷に駆り立てられて、残虐な殺人に走る。作者はグレアムよりも、むしろダラハイドの方に感情移入しており、それがよけいに読者をぞっとさせるのである。
ダラハイドは、ウィリアム・ブレイクの絵画『大いなる赤き竜と日をまとう女』に魅せられ、赤い竜、つまりレッド・ドラゴンに操られるように犯行を繰り返す。ダラハイドの異常さ、狡猪さは恐ろしいまでに魅力的であり、グレアム以下の捜査陣の描写が色槌せてみえるほどである。
後半でダラハイドは盲目の女レバと親しくなり、ベッドをともにするほどの仲になる。レバに惹かれながらも、この女に噛みついたらどんな気がするだろうと考える場面など、ぞくぞくさせるテクニックは心憎いばかりで、ヒッチコックばりのストーリーテラーといってよい。
もっとも、自分の犯行を見破ったグレアムを半殺しの目にあわせ、精神病院の独房に監禁されているもう一人の異常犯罪者、レクター博士の扱いが中途半端に終わっている点など、構成上いくつか欠点がないでもない。しかし全体としてみれば、無駄のない引き締まった作品といえる。
異常心理をテーマにした犯罪小説は少なくないが、この作品はそのどれよりもスリリングである。ある意味では、スティーヴン・キングの恐怖小説に匹敵するものがある。警察ものとして読んでも、科学捜査の過程が正確かつ詳細に書き込まれており、作者がこの分野に関して並々ならぬ知識を持っていることが分かる。
作者のトマス・ハリスは、何年か前に『ブラックサンデー』でデビューしたジャーナリスト出身の作家である。『レッド・ドラゴン』がやっと二作めというから、ずいぶん寡作であるが、それだけに作品の密度は濃い。前作も、アラブとイスラエルの対立をテーマにした、緊迫感に溢乃れる活劇小説だった。映画化もされたが、政治的な理由で圧力がかかり、お蔵入りになったと記憶している。本作品も映画になるらしいが、残酷描写の問題や異常性格犯罪者の扱いなど、むずかしい問題がいくつかあるように思われる。
なおこの小説は、少々あっけない終わり方をするように見えるが、最後まで気を抜かずにじっくり読まれるようにおすすめする。ちょっと気が早いかもしれないが、今年度の翻訳ミステリーのベスト3を狙える作品である(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1985年)。
【この書評が収録されている書籍】
週刊東洋経済 1985年7月20日
1895(明治28)年創刊の総合経済誌
マクロ経済、企業・産業物から、医療・介護・教育など身近な分野まで超深掘り。複雑な現代社会の構造を見える化し、日本経済の舵取りを担う方の判断材料を提供します。40ページ超の特集をメインに著名執筆陣による固定欄、ニュース、企業リポートなど役立つ情報が満載です。
ALL REVIEWSをフォローする