書評
『東京セブンローズ』(文藝春秋)
旧仮名遣いがすらすら読める不思議
たけし軍団に直木賞希望作家井上ひさしぶりという芸人がいる。ご本家のほうは最近、芝居に時間とエネルギーの大半を注いで多くの小説ファンをヤキモキさせていたが、実に久しぶりに小説を上梓。それが久しく待たされただけのことはある破格の面白さ、二〇世紀をくくるにふさわしい佳作である。物語は、東京・根津の団扇(うちわ)屋の主人が一九四五年春から一年間にわたって綴る日記という形をとっている。東京下町が激しい空襲にさらされる日々から敗戦、アメリカ軍による日本占領という激動の一年間である。
空襲におびえ、物不足と空腹に苦しめられながらも、人々は絶えず「鬼畜米英」と目をつり上げて過ごしていたわけではない。日常茶飯に一喜一憂しながら明日に希望をつないで生きている。粗悪な石鹸について「まるで古くなつた下(おろし)し金(がね)みたい……足にたくさん傷がついちやつたわ」「大根足に下し金ならびつたり符牒が合つてゐるぢやないか」という類のやりとりが随所にあるので、読後しばらく腹筋が痛むのは、覚悟しておいたほうがいい。全世界を敵にまわし、耐乏生活を強いられているだろう北朝鮮、それにユーゴスラビアの人々の日常は、案外こんな風にのどかなのかもしれない。
日記は、最初から最後まで旧字旧仮名遣いなのだが、身構えるまもなく、すらすらと読めてしまうのだから不思議だ。古風な下町言葉のキリリと締まった小気味よいリズム感のおかげもあるが、あらためてこの半世紀ほどのあいだに日本語が被(こうむ)ってきた変化に愕然としつつ、一方でその継承性に目を見張る。日本語で蓄積されてきた膨大な遺産にわれわれが何とかアクセスできるのは、この日本語の継承性のおかげなのだ。それが断たれそうになったことがある。占領軍総司令部がこの時期、漢字追放、日本語ローマ字化という計画を実施しようとしていた史実が挿入されるのだ。
「冗談ぢやない」「漢字假名交じり文には一千年の歴史と傳統がありますもの、それを五十年や百年で壊せやしませんよ」「日本語の半分以上の言葉が漢語なんだ」「漢字を制限したり全廃したりしたら、日本語の半分が集團で行方不明になつてしまふ」。主人公は、占領軍のもくろみを食い止めようと奔走するが、ことごとく空回り。もっとも、その過程で計画推進担当官のホール少佐などと交わす議論はつい興奮して口を挟みたくなるほど刺激的である。国家権力が瓦解し、それを支えてきた権威も大仰な主義主張も色褪(あ)せた時期、国とは、民族とは、言葉とは……どれもが切実に迫ってくる問題だ。思えば、まさにこの時期に、世紀末にあえぐ今の日本と日本語と日本人の基本的あり方が形作られていったのだ。
いくつものどんでん返しの末、危機一髪の日本語を身体を張って救ったのは、主人公の娘たちをはじめとする七人の高級娼婦であった。なぜ、どのようには、読書の楽しみを奪うわけにはいかないので、内緒。
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