書評

『最新戯曲集 紙屋町さくらホテル』(小学館)

  • 2017/07/18
最新戯曲集 紙屋町さくらホテル / 井上 ひさし
最新戯曲集 紙屋町さくらホテル
  • 著者:井上 ひさし
  • 出版社:小学館
  • 装丁:新書(550ページ)
  • ISBN:4093872597
内容紹介:
笑いの真綿に包んで「戦争責任」を問う傑作戯曲。

演劇が演劇を擁護する

見て面白い芝居は、読んでも面白い。戯曲は上演することもできる文学だ、というのは人類二千年の常識であった。一九六〇年代半ばから三〇年間、それが揺らいで戯曲は苦境を味わった。アンチテアトルという奇風が世界的にはやって、文学としての戯曲を志す人は暫(しばら)く乏しかった。この逆境の時代に優れた作品を書き続け、例外的に多数の支持を得た日本の劇作家が、井上ひさしさんである。

『紙屋町さくらホテル』(小学館)は、その井上さんの近作三編を収めた戯曲集だが、私はとくに表題作と『連鎖街のひとびと』に心をうたれた。どちらも過去の日本の国家主義を斬りながら、返す刀で演劇という芸術にたいする巧みな擁護論になっている。「演劇についての演劇」という技法を使うことで、作者は舞台に芝居がかりの魅力を横溢(おういつ)させたうえ、演劇への愛の告白に成功しているのである。

大戦末期、原爆投下寸前の広島に名優丸山定夫が訪れ、臨時の劇団を組織して稽古に励むというのが、『紙屋町』の設定である。そこに天皇の特命を受けて日本軍の実情を調査し、講和の機会を探る退役海軍大将、それを追って妨害を試みる陸軍の特務将校、さらに日系米国人の女性、特高警察官までが素人役者として加わるというのだから、これは筋立てからして芝居がかりの極致だといえる。

この物語を嘘らしさから救い、芝居の真実として納得させるのが、劇中劇『無法松の一生』の仕掛けである。劇中の人物は当惑しながら、劇中劇の人物になりきろうと努力をする。彼ら自身が疑いを捨て、『無法松』の芝居がかった世界を納得しようとする。するとそれに立ちあう観客もまた、努力をともに体験することで、嘘のなかの真実を学ぶことになる。劇中劇を信じた観客は、思わず外枠としての芝居も信じてしまう。芝居が現実ではないことをあえて見せることで、観客に芝居を容認させるのが、この技法なのである。

作者はまたみごとな筆力で、芝居に加わる人間が独特の共感を育み、敵対する立場を超えてゆく過程を美しく描く。国家主義は狂熱によって国民の統合を企てたが、人間を感情によって一体化するのなら、国家は演劇の敵ではない。芝居の真の楽しみと対比することで、作者は国家が合理性を失い、それ自体が芝居がかることの欺瞞(ぎまん)を告発しているのである。

戦後の大連を舞台に、新劇と大衆演劇の二人の作家が協力して、ロシア軍慰問の寸劇を書くという『連鎖街』の趣向も奇抜である。滑稽な笑劇の稽古を通じて、若い音楽家と女優の恋が救われ、戦中に検閲官として君臨した元役者が悔い改め、二人の作家は互いの演劇観をあらためて尊敬しあう。これは文字通り「笑劇についての笑劇」であり、作者が演劇に捧げた祝祭劇の様相を呈している。

しかし何より印象深いのは、この二つの劇中劇がやがて失われる運命に見舞われ、井上さんはその葬送の曲を書いていることだろう。丸山定夫の劇団は原爆で抹殺され、『連鎖街』の笑劇は上演の日の目を見ずに消えた。そしてそのどちらでも、芝居の参加者が自己の無常を自覚していて、だからこそ今ここで努力し、今ここで楽しもうと決意しているのが注目をひく。

歴史に法則はなく、人生に予測可能な展望はないが、まさにそれを知るゆえに、ときに現在はかけがえなく輝いて見える。芝居をする者なら誰もが体験する実感だが、あるいは井上さんと私とは人生観の次元でも、この逆説的無常観を共有しているのかもしれない。

【この書評が収録されている書籍】
「厭書家」の本棚 / 山崎正和
「厭書家」の本棚
  • 著者:山崎正和
  • 出版社:潮出版社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(288ページ)
  • 発売日:2015-04-05
  • ISBN:4267020124
内容紹介:
「知の巨人」20年の集大成、圧巻の書評集。

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最新戯曲集 紙屋町さくらホテル / 井上 ひさし
最新戯曲集 紙屋町さくらホテル
  • 著者:井上 ひさし
  • 出版社:小学館
  • 装丁:新書(550ページ)
  • ISBN:4093872597
内容紹介:
笑いの真綿に包んで「戦争責任」を問う傑作戯曲。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2001年9月16日

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