書評
『緩やかさ』(集英社)
生き死にを急ぐ現代の戯画集
ドゥニ・ディドロといえば、フランス十八世紀の、『百科全書』を監修した大啓蒙思想家、となる。しかし、この人、小説もうまい。『不謹慎な宝石』という風俗小説まで書いているが、対話体小説として有名な『ラモーの甥』『運命論者ジャックとその主人』などは、いつになっても古びないふしぎな現代性を持っている。十八世紀思想と程遠い評者も、ディドロの小説は好きで、『ラモーの甥』と、反教権小説『修道女』を読むだけでは足りず、昔、パリで、芝居になったのを観た憶えがある。チェコからフランスに亡命し、ついにフランス国籍を取った作家、ミラン・クンデラが、そのディドロの、一代の奇作『運命論者ジャック』を下敷きにして、この『緩やかさ』を書いた。テーマは、はっきりしている。テクノロジーとの相乗作用の中で、やたらに生き急ぎ、死に急いでいる現代人は、A点からB点にまで到達する所要時間を、狂ったように短縮しようとして、しばしば無意味な大量死に行き着いてしまう。もっと緩やかにやれないか。セックスの領域でまで、せかせかと先を急ぐのは、みじめだと思わないか。
もう一つ。これもすでに、テーマとしてはおなじみのものだ。テレビに出演して有能性を競りあうことが、そんなに大事か。日替わりメニューみたいに、地球上各地の惨事を、良心的なコメント付きで、映像として提供するのが、それほどの偉業か。
ディドロの『運命論者ジャック』も、話がどんどん横道に逸(そ)れ、大きく脱線する。作者がじかに介入してきて、時代批判をする。しばしばピュルレスク(滑稽談)になるのも辞さない。クンデラのもそうだ。映像優先時代の「知識芸人」たちの、グロテスク極まりて哀感生ず、といった戯画集である。
忘れるところだった。話の組みたてそのものには、やはり十八世紀のヴィヴァン・ドゥノン男爵の短編を活用している。クンデラならではの奇襲戦法というべきか。
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