書評

『緩やかさ』(集英社)

  • 2018/04/08
緩やかさ / ミラン クンデラ
緩やかさ
  • 著者:ミラン クンデラ
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(201ページ)
  • ISBN:4087732347
内容紹介:
パリ郊外の城で一夜を過ごすことになったクンデラと思しき作家夫妻。折しも城では国際昆虫学会が開催される。パリから集った男女、テレビクルー、政治家、解放後のチェコの学者もからんでの愛の非喜劇がくりひろげられ、夫妻は眠りを妨げられるのだが。―一方、200年の時空を超えて、18世紀のもっとも… もっと読む
パリ郊外の城で一夜を過ごすことになったクンデラと思しき作家夫妻。折しも城では国際昆虫学会が開催される。パリから集った男女、テレビクルー、政治家、解放後のチェコの学者もからんでの愛の非喜劇がくりひろげられ、夫妻は眠りを妨げられるのだが。―一方、200年の時空を超えて、18世紀のもっとも美しい短編小説「明日はない」の主人公の騎士がたちあらわれ、城館の貴婦人と愛の一夜を明かす。その振舞いの雅さに心奪われる作家は、朝霧のなかを立ちさる騎士の足どりの緩やかさのなかに、幸福のしるしを見る。なぜなら幸福はそれを味わい楽しむために、ひとを緩やかにするから。クンデラは、二つの世紀のヨーロッパの精神状況を、かろやかに、優雅に、重奏的かつ哲学的に描いた。さながらワトーの絵のように、またモーツァルトのように。本書はクンデラ初のフランス語執筆による小説。

生き死にを急ぐ現代の戯画集

ドゥニ・ディドロといえば、フランス十八世紀の、『百科全書』を監修した大啓蒙思想家、となる。しかし、この人、小説もうまい。『不謹慎な宝石』という風俗小説まで書いているが、対話体小説として有名な『ラモーの甥』『運命論者ジャックとその主人』などは、いつになっても古びないふしぎな現代性を持っている。十八世紀思想と程遠い評者も、ディドロの小説は好きで、『ラモーの甥』と、反教権小説『修道女』を読むだけでは足りず、昔、パリで、芝居になったのを観た憶えがある。

チェコからフランスに亡命し、ついにフランス国籍を取った作家、ミラン・クンデラが、そのディドロの、一代の奇作『運命論者ジャック』を下敷きにして、この『緩やかさ』を書いた。テーマは、はっきりしている。テクノロジーとの相乗作用の中で、やたらに生き急ぎ、死に急いでいる現代人は、A点からB点にまで到達する所要時間を、狂ったように短縮しようとして、しばしば無意味な大量死に行き着いてしまう。もっと緩やかにやれないか。セックスの領域でまで、せかせかと先を急ぐのは、みじめだと思わないか。

もう一つ。これもすでに、テーマとしてはおなじみのものだ。テレビに出演して有能性を競りあうことが、そんなに大事か。日替わりメニューみたいに、地球上各地の惨事を、良心的なコメント付きで、映像として提供するのが、それほどの偉業か。

ディドロの『運命論者ジャック』も、話がどんどん横道に逸(そ)れ、大きく脱線する。作者がじかに介入してきて、時代批判をする。しばしばピュルレスク(滑稽談)になるのも辞さない。クンデラのもそうだ。映像優先時代の「知識芸人」たちの、グロテスク極まりて哀感生ず、といった戯画集である。

忘れるところだった。話の組みたてそのものには、やはり十八世紀のヴィヴァン・ドゥノン男爵の短編を活用している。クンデラならではの奇襲戦法というべきか。
緩やかさ / ミラン クンデラ
緩やかさ
  • 著者:ミラン クンデラ
  • 出版社:集英社
  • 装丁:単行本(201ページ)
  • ISBN:4087732347
内容紹介:
パリ郊外の城で一夜を過ごすことになったクンデラと思しき作家夫妻。折しも城では国際昆虫学会が開催される。パリから集った男女、テレビクルー、政治家、解放後のチェコの学者もからんでの愛の非喜劇がくりひろげられ、夫妻は眠りを妨げられるのだが。―一方、200年の時空を超えて、18世紀のもっとも… もっと読む
パリ郊外の城で一夜を過ごすことになったクンデラと思しき作家夫妻。折しも城では国際昆虫学会が開催される。パリから集った男女、テレビクルー、政治家、解放後のチェコの学者もからんでの愛の非喜劇がくりひろげられ、夫妻は眠りを妨げられるのだが。―一方、200年の時空を超えて、18世紀のもっとも美しい短編小説「明日はない」の主人公の騎士がたちあらわれ、城館の貴婦人と愛の一夜を明かす。その振舞いの雅さに心奪われる作家は、朝霧のなかを立ちさる騎士の足どりの緩やかさのなかに、幸福のしるしを見る。なぜなら幸福はそれを味わい楽しむために、ひとを緩やかにするから。クンデラは、二つの世紀のヨーロッパの精神状況を、かろやかに、優雅に、重奏的かつ哲学的に描いた。さながらワトーの絵のように、またモーツァルトのように。本書はクンデラ初のフランス語執筆による小説。

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初出メディア

産経新聞

産経新聞 1995年11月6日

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