書評
『庭』(新潮社)
この短編集を読むという圧倒的体験
ニートだ、というのが、読後最初に頭に浮かんだ言葉なのだが、ニートには、きちんとした、均整のとれたという意味のほかに、(仕事などが)巧妙な、という意味もあり、さらに俗語で、すてきな、すばらしい、という意味もある。私の思ったニートはその全部で、日本語で言うなら、つまり傑作。十五編が収録されている。どの一編をとっても奥行きがあり、気配に満ちていて、おもしろい。おもしろいという言葉ではたりないくらいおもしろく、私はこの短編集のとりこになった。
一編目から度肝を抜かれる『うらぎゅう』、大人と子供とでは全然べつ時間を生きているのだ、ということが鮮烈にわかる『広い庭』と『緑菓子』(どちらも最高)、方言が炸裂(さくれつ)し、おそろしいのに笑ってしまう『名犬』や、シュールな味わいの『叔母を訪ねる』および『どじょう』、さまざまな匂いに満ち、ざらりと哀(かな)しい『予報』や、筆力全開で駆け抜けたかのような、気持ちのいい『動物園の迷子』。ほんとうに、どれもどれもいいのだ。一読忘れられなくなることうけあいの『彼岸花』も、ひそやかで個人的で、それなのに風通しのいい『蟹(かに)』も、利発であどけない四歳の女の子である「りーちゃん」が、世にもおそろしく感じられる『家グモ』(破壊力抜群)も。
まず感じるのが描写の適確きわまりなさで、それが最初から最後まで、自然かつ緊密に続く。たとえばある一編で、主人公が日帰りで訪れる温泉施設の「自動ドアを通ると、大きな自動販売機がぴかぴかと光って並んでいたので覚えずホッとした。そこここに木製オブジェや木彫りの人形、鹿の角、竹ひご細工に渓流の写真などが配置されていた。うっすら木のにおいがした。ロビーには入浴券の券売機や売店などがあり、売店には瓶詰めや菓子類や干物、ドライフラワーのリースなどが並んでいた。アイスクリームの冷凍ボックスには『ジビエ冷凍肉部位応相談』と貼り紙がしてある。人は誰もいなかった」という描写。またべつの一編の、主人公が里帰りした実家の「布団は重く湿っていて、いつまでも温まらなかった。私は何度も寝返りを打った。布団には湿気やかびの胞子だけではなく、もっと比重の大きい、くぐもった匂いのするものが染みこんでいる感じがした」という描写。例をあげればきりがないのだが(雨の日の住宅地で、猫避(よ)けにならべられたペットボトルの、「中の水は雨水より黄色っぽく見え」るのだし、おなじく雨の日に、狭い道で他人とすれ違うとき、相手の傘の縁からこちらの肩に落ちる水滴は「雨粒より大きくて冷た」いわけで)、何もかもが、そうであるに違いないありようでそこにある。
さらに、この著者の会話文の上手(うま)さは常軌を逸しており、読んでいて、ひきこまれるというよりすいこまれる。物語のそこここにぽっかりあいた、不穏な穴のなかに。
多用される方言の扱いは無論見事で効果的なのだが、標準語での会話もそれにひけをとらず巧妙でリリカルで、しばしばおそろしい。
どの小説でも、一つの場所に幾つもの層があることが描かれている。親しい間柄でも見えている世界が違うこと、人がみんなべつの個体であること、けれど血はつながり、血以外にもつながっていくものがあること、そして、この世には人間より人間以外の生き物の方がずっと多いのだということ。
が、この短編集を読むという圧倒的でスリリングな体験の前では、そんな分析は意味も色も失ってしまう。
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