書評
『戦中派不戦日記 山田風太郎ベストコレクション』(角川書店(角川グループパブリッシング))
医学生が記録した昭和二十年
山田風太郎といえば、忍法ものの作家として知られているが、この「不戦日記」は彼が医学生として在学中に書いた敗戦前後の日記である。一部分は「風太郎敗戦日記」と題して雑誌に発表されたことがあるが、その全貌に接してみると、これがきわめて貴重な庶民資料でもあることが、あらためて知らされる。当時満二十三歳であった彼は、この日記の記載から類推すると、目黒かいわいに下宿し、新宿の東京医科大学(当時は東京医専)に通っていたものらしい、昭和二十年一月一日から十二月三十一日までの一年間の日記で、罹災後しばらくの部分は落着いた後に記憶をたどりながら書いたところもあるが、ほとんど毎日、見、聞き、感じたことを記録しており、しかも詳細に巷のありさまを書きとめているだけに、なまなましい感銘をうける。
元日の記載は、「運命の年明く。日本の存亡この一年にかかる。祈るらく、祖国のために生き、祖国のために死なんのみ」ではじまり、大みそかの「運命の年暮るる。日本は亡国として存在す。われもまたほとんど虚脱せる魂を抱きたるまま年を送らんとす。いまだすべてを信ぜず」で終っている。また敗戦の当日八月十五日は、たった一行「帝国ツイニ敵二屈ス」とあるだけだ。翌日になってその日のことを思いかえし、詳細に述べてはあるが、八月十五日がわずか一行にすぎず、しかもカタカナ書きであることも、衝撃の深さを物語っている。
八月十五日の前日まで、国難という言葉の壮烈なひびきについて述べ、物量をほこるアメリカにたいして不敗の道は、日本人の不撓(ふとう)不屈の戦う意志それひとつだと書いていた著者が、一日おいて十六日には滅ぶことを知りながらなお戦った彰義隊こそ日本人の神髄だと書くようにかわる。この転換は戦中世代の共通した心理的体験の表白だが、二十六年を経た現在では(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1971年)、その時のつきつめたような思いがもはやわからなくなってきている。
著者はどこまでも山田誠也であり、忍法作家風太郎ではない。読者を意識したものではないだけに、そこに書きとめられている記録のひとつひとつが、敗戦前後の緊迫感とそれにつづく虚脱、および焦土のなかから芽生えてゆくも
のなどを事こまかくとらえており、外交文書や戦記などとは違う生活の匂いを伝えているのが興味深い。
三月と五月の東京大空襲をはじめ、連日のように行われた空襲の模様や、買物の行列、銭湯でのウワサ話があるかと思うと、学校での授業内容にふれ、その間には結構、映画館や演芸場に顔を出し、ロシアやフランスの翻訳小説を読み、生命について、世界について書くかと思うと、日本の国難に言及するといった調子で、自由に記されているが、それだけに戦中世代の青春といったものを正直に告白する結果になった。
戦争末期の思いつめた意識から敗戦による空漠感への転落は、正確なかたちではこれまで書きとめられたことがなかった。たとえあったとしても、それは戦後の時点からふり返ったものであった。この「不戦日記」は、日時の経過にしたがって叙述されているだけに、そのなかに生きた一青年の心理の推移を忠実に伝えており、こまかい息吹きまでをつたえてくれる。
しかも二十三歳の著者は、罹災し、いろいろな困難にあいながらも、客観的にながめるゆとりを失っていない。作家の目はすでにここにも芽生えていたのだ。
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