解説

『くノ一紅騎兵』(KADOKAWA)

  • 2019/07/15
くノ一紅騎兵 / 山田 風太郎
くノ一紅騎兵
  • 著者:山田 風太郎
  • 出版社:KADOKAWA
  • 装丁:文庫(336ページ)
  • 発売日:1979-10-00
  • ISBN:4041356180
内容紹介:
猛将上杉景勝は、重臣直江山城守の推挙で一人の小姓を召しかかえた。女と見紛うばかりの美童だが恐るべき剣技の持ち主で、景勝は連日連夜寵愛した。やがて、上杉家も大阪方に就くか徳川方に就くかの決断の時を迎えた。その時、直江山城守が赤ん坊を抱いて登城し、「上杉家のおん嫡子でござる」と言上したのである。豪胆な景勝もさすがに仰天した。女を抱かない彼に子供が生まれるはずがない。母親は意外にも、彼が溺愛したあの美童だった……。“くノ一”ものを精選した忍法帖!
山田風太郎さんにお会いしたのは、一九九四年の冬のある日のことだった。『小説現代』から対談してみないかというお誘いがあり、無謀にも乗ったのだ。

私は何かとウケを狙いたがる人間であるが、山田風太郎さんのことはほんとうに好きで尊敬しているので、珍しく謙虚な気持になっていた。「気に入られようとか強い印象を残そうとか、そういうあざとい考えはいっさい捨てよう。とにかく失礼のないように、そのことだけを心がけよう」と自分の心に言い聞かせて、対談の日を迎えたのだった。

にもかかわらず、私は出だしから失敗してしまった。(話がまわりくどくなるので省略するが)電車の乗りかえに失敗し、別方向の路線の終点まで行ってしまったのだ。家を出たときはひどく緊張していたのだが、この騒動があったため、風太郎さんのお宅に何とかたどり着いたときは、もうそれだけで一仕事終えたようにドーッと安心してしまい……緊張どころか、あまりにもくつろぎすぎた対談になってしまった。

長時間お話ししたのでいろいろ心に残っていることはあるのだけれど、ひとことで言うと想像していた通りの人だった。ファンなのでじかに会っても自分の見たいように見ているというところも少しはあるのだろうが、思った通りの「大きな、いい人」という印象だった。世の中に「小さな、いい人」は多いが、「大きな、いい人」はまことに少ない。この人には何か打ち明け話をしたいな、自分の苦しみや迷いを語ってみたいな、抽象的なひとことだけでいいから、何か言葉を頂戴したいな――という気持にフト駆られた。そういう、人柄の大きさを感じた(しかし、私にはあいにくその打ち明け話の材料がなかった)。

その対談が『小説現代』に掲載されたとき、見出しのところに「異色対談」とあったのがちょっと面映ゆく、おかしかった。

山田風太郎さんの小説は、ほんとうは「奇想小説」あるいは一種の「SF小説」と呼ぶべきものだが、一般的には「時代小説」というくくり方をされているようだ。「時代小説」にはあまり縁のない私がしゃしゃり出て行ったところは確かに「異色」の顔合わせではあるが、しかし相手が私でなくても、女であれば誰であっても、「異色対談」という感じはするのではないだろうか。山田風太郎の想像力は、女という存在から最も遠いところにある種類の、とことん男性的な想像力のように思えてならないのだ。何しろ、基本が「ナンセンス」=無意味なのだもの。

私の世代は六〇年代の最初の山田風太郎ブームをリアルタイムで知っている最後の世代だと思うが、私自身はその頃は読んでいなかった。『戦中派不戦日記』(講談社文庫)や『人間臨終図巻』(徳間書店)などを読んだあと、ようやく興味を燃やし、初めて昔の「忍法帖」シリーズを読むようになったのだ。このことは私にとって、非常にしゃくなことである。ひけ目に思っていることである。

私のおぼろな記憶では、当時の風太郎小説はインテリがあまり手に取らないマンガ雑誌などにも発表されていて、文芸評論の世界ではけっして評価の高いものではなかった、いやまったく黙殺されていたように思う。風太郎小説の「通俗にして、低俗にあらず」というところがわかって、その奔放な想像力を高く評価していたのは、野坂昭如、小林信彦、澁澤龍彦などごく少数の人びとだったと思う。

風太郎さんは御自分のことを「くだらんもんばっかり書いてても一生暮らせるっちゅう見本みたいなもんでね」と笑っていらして、その口調には韜晦(とうかい)の色はなく、本気でそう思っているという感じであったが、しかし、自分でそう言うのは平気でも、ひとから言われたくはなかっただろう。

私は最初に『忍びの卍』から入り、『甲賀忍法帖』『伊賀忍法帖』『魔界転生』『柳生忍法帖』『忍者月影抄』……と読み進んでいったのだが、まず第一に、次から次へと繰り出される忍法の奇抜さ――『くノ一忍法帖』でいうところの「生理の可能性の範囲内にありながら、常識を絶した秘技」ね――に驚き、笑い、興奮した。いちいち、「トンデモ本」のごとき擬似科学的説明がついているのが、ばかばかしくて楽しい。子どもの頃、少年雑誌の附録で「忍者手帳」というのがあって、水遁の術や火遁の術についてのもっともらしい説明に心ときめかした――あの気分を思い出す。時にゴムまりのごとく、時にナメクジのごとく、変形変態していく忍者たち。その意表をつくスペクタクルと異形のかっこよさに圧倒される。

風太郎さんは「家で飼っている犬や庭にやって来る鳥を眺めていると、彼らの超能力に驚かされることが多い。それが忍法を考えつくうえでのヒントになった」と語っていらっしゃった。確かに……風太郎忍法小説を読む楽しさの中には、社会的約束事や固定観念などの衣を何重にも着込んでいて、体がかじかみ、単調な動きしかできなくなった人間がバーッと厚着を脱ぎ捨てて裸になる、純粋に動物に戻って動き回ることの楽しさがあると思う。

私が一番好きなのは、『忍者月影抄』に出てくる「忍法・埋葬虫(しでむし)」で、これは裸で抱きあった男女がドリルのように回転しながら土の中にもぐり込み、敵がやって来たところを地中から刀をバッと突き上げて殺す――というもので、まったくマンガのようなものだが、性交という心身の異常状態が生み出す妙なエネルギーを感じさせて、「絵空事(ファンタジー)ならではの真実味(リアリティ)」とでもいうべきものがある。『忍びの卍』の「忍法白朽葉」あるいは「赤朽葉」にしても、男の生理というものがマンガ的な誇張と具体性を持って描き出されている感じがして、女の私にも何だか身にしみて面白いのだった。

風太郎忍法の魅力は、「体のハイテク」とも呼ぶべきその思いつきの奇抜さばかりではなく、その一つ一つに男女の生理が色濃く投影されているところだと思う。そこが、凡百の「体のハイテク小説」と一線を画す大人っぽさなのだと思う。稚気はたっぷりあるが、けっして幼稚ではないのだ。

面白くてガンガン読み進んでいったが、文章の乱暴さというか豪快さには、時どき苦笑した。女の人(みな美人、みなすぐ脱ぐ)はおうおうにして「凄艶」「清麗」といったひとことですませてしまうし、いちおう時代小説であるにもかかわらず「レーダー基地」「ブーメラン」「デモンストレーション」などという言葉が(地の文でではあるが)平然と出てきてしまうし、また当時の世相や売れっ子作家たちをからかう文章も出てくる。

作家デビュー以前の『戦中派不戦日記』を読むと、風太郎さんはいわゆる純文学系のレトリシャンになる資質はたっぷり持っていたように思われるのだが、実際にはストーリー・テラーの方向へ進んだ。その転換にかんしては、御本人はあくまでも「なりゆき」でそうなったというふうに語っていらしたが、私にはその根底に、ある決意があったように思えてならない。「自分がもし小説というものを書くとしたら、でたらめの楽しさを提供する、そのことに徹しよう。ほんとうらしさを狙ったでたらめよりも、最初から誰の目にもでたらめであるものを書いて、それをギリギリまできわめていくことのほうが、よっぽど倫理的に誠実で清潔なことなのではないか」というような。

対談の中でも感じたことだが、山田風太郎さんにとっての戦争体験は、心の深いところにまで根をおろしているように思える。戦争体験の中でこの世の中のでたらめ(非合理とか不条理と言ってもいい)を思い知ったというか、もともとのニヒリズムがさらに大きなスケールで補強されたというか。戦後、自己の内面吐露的な小説には背を向け、奇想小説=でたらめの楽しさに賭けた小説に向かっていったところには、何か決然としたものがある。私はそこに山田風太郎さんの倫理的潔癖を感じる。

「忍法帖」シリーズには、一般的な意味での「文学性」を犠牲にしてでも、これを書きたいというエネルギーがある。奔放な想像力がある。スピード感がある。「凄艶」や「レーダー基地」といった言葉の使い方は、このさい御愛敬、破調の楽しさにまでなっている。

風太郎さんは夏目漱石と吉川英治を敬愛していて、吉川英治の『三国志』に中国の武将が部下に「おまえの働きはゼロだ!」とどなる場面があり、「地の文ならいいが、会話の中に“ゼロ”はひどい。大昔の中国の話なのに“ゼロ”だっちゅうのはね。吉川英治はまったく豪傑だ」と笑っていらっしゃった。その後、風太郎さんの『笑い陰陽師』を読んだら、ある男の無毛の性器の形容に「ニューニュー然」と書いてあったので、「凄い形容……。風太郎さんもそうとう豪傑じゃないか」と、おかしく思った。ついでに言うと「超男性」という言葉も、なかなか。

風太郎忍法小説は、読んでいるときは血わき肉おどり爆笑につぐ爆笑の一大マンガだが、読み終わったあとには……ああ、何と言ったらいいのだろう、「すがすがしい空漠感」とでもいうべき気分が残る。きわだった能力を持った人びとが、そのきわだった能力を精いっぱい発揮し、ただそれだけで迷いなく死んでゆく。大義も何もない、ひたすら能力に生き能力のために死んでゆく。その死屍累々のありさま。人気(ひとけ)のない砂漠に美しい模様を描き出していく風に触れたような気分が残る。善玉悪玉小説とも、またその裏をかいた「悪が栄え善が滅びる」式の皮肉な小説ともどこか違う感触が残る。

やっぱり「大きな、いい人」の書いた小説だと思う。

【この解説が収録されている書籍】
アメーバのように。私の本棚  / 中野 翠
アメーバのように。私の本棚
  • 著者:中野 翠
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(525ページ)
  • 発売日:2010-03-12
  • ISBN:4480426906
内容紹介:
世の中どう変わろうと、読み継がれていって欲しい本を熱く紹介。ここ20年間に書いた書評から選んだ「ベスト・オブ・中野書評」。文庫オリジナルの偏愛中野文学館。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

くノ一紅騎兵 / 山田 風太郎
くノ一紅騎兵
  • 著者:山田 風太郎
  • 出版社:KADOKAWA
  • 装丁:文庫(336ページ)
  • 発売日:1979-10-00
  • ISBN:4041356180
内容紹介:
猛将上杉景勝は、重臣直江山城守の推挙で一人の小姓を召しかかえた。女と見紛うばかりの美童だが恐るべき剣技の持ち主で、景勝は連日連夜寵愛した。やがて、上杉家も大阪方に就くか徳川方に就くかの決断の時を迎えた。その時、直江山城守が赤ん坊を抱いて登城し、「上杉家のおん嫡子でござる」と言上したのである。豪胆な景勝もさすがに仰天した。女を抱かない彼に子供が生まれるはずがない。母親は意外にも、彼が溺愛したあの美童だった……。“くノ一”ものを精選した忍法帖!

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