書評

『公園へ行かないか? 火曜日に』(新潮社)

  • 2018/12/19
公園へ行かないか? 火曜日に / 柴崎 友香
公園へ行かないか? 火曜日に
  • 著者:柴崎 友香
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(276ページ)
  • 発売日:2018-07-31
  • ISBN-10:9784103018339
  • ISBN-13:978-4103018339
内容紹介:
世界中から来た36人の作家と小説を読み、議論をし、街を歩き、大統領選挙を経験した作家が感じた現在のアメリカを描く連作小説集。

こだまする思考のなまり

そこは、不思議の国だった。どこへ行って、だれと会って、なにを見て、なにをしたのか? なにもかもが鮮やかでありながら、どこか現実感が薄い。語り手はそれらのことが本当に起きたのか、つねに危ぶみ、首をかしげているようだ。

十一作を収めた本短編集の第三篇に、ようやく語り手「トモカ」の置かれている状況を端的に説明する文章が出てくる。

クリエイティブ・ライティングのコースをアメリカで初めて作ったアイオワ大学の、世界各国から作家が集まって十週間過ごすインターナショナル・ライティング・プログラム(以下、IWP)に、二〇一六年八月二十日から参加していた。四十九年目の今年の参加者は、三十三か国から三十七人。

詩人、小説家、劇作家など、参加者たちは大学敷地内に滞在し、ディスカッション、プレゼン、朗読会を行ったり、高校で授業をしたりする。要は、“ライターズ・イン・レジデンス”型の長期プログラムで、アイオワ大学が草分けである。日本からは、田村隆一に始まり、近年は中島京子、谷崎由依らが参加し、今年は滝口悠生が目下、滞在中のはずだ。

一昨年は日本から柴崎友香が参加した。なるほど、本書の「トモカ」は柴崎その人で、IWPでの経験を書いた体験記風短編集かと思われるだろう。実際、そうかもしれない。ただし、作者自身は「フィクション」か「(私小説的)エッセイ」かという区別は全くしていないと言う。同様に自分の実名を登場人物名に使っているボスニア出身のアレクサンダル・ヘモンは、あなたの作品はフィクションか自伝かと質疑応答で問われて、「作中にいくつ真実が入っていたら自伝で、いくつ嘘が入っていたらフィクションになるんですか?」と笑いながら返したことを思いだす。柴崎友香にとっては、事実と作り事という二項対立でもなく、事実を書いても「小説の回路を使って書けば小説になる」と言う(本書をめぐる滝口悠生との公開対談より)。

トモカが参加した年のIWPには、アジア、中近東、アフリカ、欧州などからの参加者がいた。共通言語は英語だが、そこはまさにどこにもない、世界中の言語の、多和田葉子流にいえば「思考のなまり」、ダニエル・ヘラー=ローゼン流にいえば、「言葉の谺(エコー)」が反響しあう人工的な「英語圏」である。なまりやエコーのブレンド比率も毎年ちがうだろう。非常に興味深い。

トモカは英語が不得手だと言う。とはいえ、「世界はそこに紛れもなく実体としてあった。しかし、周りの人がなにを話しているのか、どんな関係性なのか、〈中略〉いつも水の中で手探りするようにしかわからな」いという彼女の感覚は、語学力のせいだけではないようだ。

アイオワで二か月を過ごしても、トモカにとってアメリカは「イメージ」だった。たとえば、涯てしないとうもろこし畑が周囲に広がる農家に遊びに行くと、「空は曇っていて、白っぽい灰色で埋まっていた。とうもろこし畑も草むらも遠くの丘も、陰影がなかった。アンドリュー・ワイエスの絵のようだ」と思う。おそらく現実感の希薄さを、「ワイエスの絵のよう」と言っているのだ。あるいは、IWPのクロージング・パーティで予期せぬ光景を見て、「ワインバーが出店し、色鮮やかなフルーツやケーキが並んでいた。『シャイニング』の豪華なパーティーの場面を、わたしは思い出した。幽霊たちのパーティー」と思う。あるときは、「パーク」へ行かないかと誘われ気軽に行ってみると、いくつもの丘を越え森を越えてたどりついたのは、彼女がイメージしていた「公園」ではまったくなく、だだっ広い山間地のようなものだった。「パーク」のイメージの齟齬に狼狽し、ここでもガス・ヴァン・サントの『ジェリー』という、二人の男が砂漠を彷徨う映画を記憶から呼びだして、不安と困惑を鎮めようとする。

既存のイメージの持ち合わせがない光景や現象が眼の前に現れると、トモカは記憶のストックからさまざまな虚構のイメージを召喚し、現実のほうをそこにあてがってみて、リアルさを実感するという、一種、転倒した認識の手続きを踏む。

作者自身は、アイオワでの現実の記憶が鮮明な頃に書いた冒頭からの三篇のほうが、より「虚構的」で、逆に記憶が薄れてから書いた篇のほうが、より「私小説(事実)的」に仕上がったと言っている。後半にいくほどトモカは「~のような」と言わなくなる。しかし読み手からすると、最初の三篇のほうがなぜか“生々しく”迫ってくる。本書で柴崎友香の作りだすリアル感は、事実に近いかどうかは当然関係なく、仮構のイメージを通して確固たる手触りを掴んだかどうかなのだろう。

しかしトモカの反応や言葉がくっきりと輪郭をもつときがある。第四篇の「とうもろこし畑の七面鳥」が初出ではないかと思うが、それまで共通語(標準語)で思考していたトモカのツッコミが、「あと五日やのにどうするん」と、彼女の「母語」である大阪弁に変わるのだ。もちろんトモカは周囲とは英語で話しているのだが、その英語を、時間的により近く、より虚構的だという第三篇までは、共通語に「訳して」いた。それが時間をおくことで、より私小説的な領域が広がり、母語が浸潤してきたのではないか。トモカはIWPでの会話は自分の中で大阪弁に訳しており、「話したいと体の奥から湧き出てくる」のも大阪弁だったという。

トランプ政権誕生の日を描く「ニューヨーク、二〇一六年十一月」で、トモカはイベントに参加し、選挙速報を目の当たりにする。アイオワ州を含めた中西部がトランプ支持の赤に染まり、クリントン支持の青が圧されていく。しかしトモカは「歴史的瞬間に立ち会った」とは思わない。「だけど、いただけだ。見ただけだ。なにもわかっていない。バーのカップルとタクシーの運転手の青年以外、誰と話をしたわけでもない」と思う。IWPという、ひととき作りだされた幻の郷でのパーティを「幽霊たちのパーティー」と彼女は表現したが、第二次大戦の博物館を訪れる章も「ニューオーリンズの幽霊たち」と題されている。

「どこにもないアメリカ」での十週間と、嘘のようなNYでの三日間。現れては消えていく幽霊のような人たち。いや、幽霊は異境をさまようトモカのほうだったかもしれない。なにもかもが鮮やかでありながら“遠い”のは、英語のせいではなく、書き手が透徹したゴーストのまなざしを持っているからなのだ。
公園へ行かないか? 火曜日に / 柴崎 友香
公園へ行かないか? 火曜日に
  • 著者:柴崎 友香
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(276ページ)
  • 発売日:2018-07-31
  • ISBN-10:9784103018339
  • ISBN-13:978-4103018339
内容紹介:
世界中から来た36人の作家と小説を読み、議論をし、街を歩き、大統領選挙を経験した作家が感じた現在のアメリカを描く連作小説集。

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