書評

『神秘大通り』(新潮社)

  • 2019/01/01
神秘大通り / ジョン・アーヴィング
神秘大通り
  • 著者:ジョン・アーヴィング
  • 翻訳:小竹 由美子
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(406ページ)
  • 発売日:2017-07-31
  • ISBN:4105191179
内容紹介:
人生は衝突コース――道連れは、怪しく美しい美人母娘。メキシコのゴミ捨て場育ちの作家の過去への旅。巨匠アーヴィング、最新長篇!

非力な人間の側に立つ小説

メキシコのオアハカで、ゴミ捨て場の集落で育ち、捨てられた本から独学で語学をマスターする少年。人の心を読め、兄だけがわかる言葉でしか話せない妹。悲しい過去とともにアメリカから孤児院にやってきた新任教師。セーフティネットなしで綱を渡るサーカスの花形少女。もっとたくさんの、一癖も二癖もある登場人物たちが次から次へとあらわれて、小説はパレードみたいににぎやかだ。

その風変わりな人々と私は何ひとつ接点を持たないのだが、不思議なくらい彼らを身近に感じてしまう。登場する犬の一匹ですら、いとおしい存在になる。生々しく身近に、その体温も体臭も感じ取れるくらい近くにいるだれかに思えてくる。

語り手はゴミ捨て場で育った少年フワン・ディエゴ。十四歳でアメリカに渡り、長じて作家となった彼は、五十四歳の現在、香港経由でフィリピンを旅している。心臓の薬ベータ遮断薬とバイアグラを場合によって服用したりしなかったりするせいか、彼は旅しながらありありと昔を思い出す。妹とともにゴミ捨て場から孤児院に引っ越し、サーカスに引き取られた日々と、謎多き魅惑的な母娘に翻弄(ほんろう)される現在の旅が、より糸のように交差しながら進んでいく。

ユーモアに満ちたにぎやかな小説だが、つねに悲しみの予感が漂ってもいる。読み手もまた、フワン・ディエゴの少年期にさかのぼり、彼と妹の未来に不吉な予兆を嗅ぎ取り、どうか何も起きないでくれと祈りながらページをめくる羽目になる。しかし悲劇は起き続ける。悲惨なくらい起きる。淡々と。次々と。

なのにどういうわけか、次々起こる悲惨さに、小説内のだれも彼も、また小説自体も、のみこまれることなく、それぞれが放つ光の強度を上げていく。彼らのだれひとりとして、悲惨なできごとに打ち勝つような強さは兼ね備えていない。悲しみは悲しみのまま、悲惨さは悲惨さのまま、彼らの人生に存在し続ける。人生の傷やマイナスとしてではない、生きた証として、闘った、愛した証として。

フワン・ディエゴのかつての教え子で作家となったクラークは、恩師の小説を「衝突コース」と呼ぶ。未来とは不可避のできごとが待ち受ける、運命に支配された世界であり、小説内の人々はそれがやってくるとわかっていながら、避けることはできない。そう皮肉るクラーク自身の小説は、戦闘的なまでに善意に満ち、衝突は前向きな教訓へと変化する。紛れもなく私たちの人生は、クラークの小説よりフワン・ディエゴの、あるいはこの『神秘大通り』に、より近い。進む先にあるものがすばらしいものばかりではないと予感しながら、でも、神秘に満ちた通りを私たちは進むしかない。教訓などひとつも得られずに、悲しみは悲しみのまま、悲惨さは悲惨さのまま、引き受けて進むしかない。彼らがパレードのように歩く大通りは、私のごくふつうの日々とはまったく似ていないけれど、読んでいるだけではっきりと重量のある糧を受け取ったような気持ちになる。私たちそれぞれの衝突コースを生きる糧。

小説にはもっともっと多くのことが書かれている。箴言(しんげん)に満ちている。植民地支配の歴史や宗教の教義について、性的マイノリティへの偏見について、さまざまに皮肉り批判もしている。どんなふうにも読める。ただ一貫して、作者は非力な人間の側に立って書いている。書かれた人々(犬も)が、小説そのものが、こんなにも近しく思えるのは当たり前なのだった。非力な私に向こうからこうして近づいてくれるのだから。
神秘大通り / ジョン・アーヴィング
神秘大通り
  • 著者:ジョン・アーヴィング
  • 翻訳:小竹 由美子
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(406ページ)
  • 発売日:2017-07-31
  • ISBN:4105191179
内容紹介:
人生は衝突コース――道連れは、怪しく美しい美人母娘。メキシコのゴミ捨て場育ちの作家の過去への旅。巨匠アーヴィング、最新長篇!

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2017年9月10日

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