切なく、いとおしい認知症の母の日々
過去作で日系移民の歴史を描き、鮮烈な印象を残した作家が、現代を舞台にした本作では、自らの母の最晩年を描き出す。ニューヨークのビルの地下にある公営プールに通い詰めるスイマーたちは、それぞれ悩みを抱えている。みんなどこかで不本意な人生を生きているが、水に入るとすべてを忘れて自由になる。彼らのプール依存っぷりが、とてもユーモラスでいとおしい。
そんな中でも、もっともチャーミングなのが、アリスだ。「認知症の初期段階にある退職した元検査技師」の彼女も、悩み多き彼らといっしょに、ルールを守りながら泳ぐ。
スイマーたちの守るべきルールの中に「アリスには親切にすること」というのが、ある。アリスは「認知症の初期段階」だから、「ロッカーのカギの数字の組み合わせやタオルを置いた場所」を忘れてしまうことだってある。そういうときにも、みんなはやさしく接する。アリスは、水の中では大きなストロークで勢いよく泳ぎ「頭は澄んでいる」。ほかのスイマーたちも、プールの中では悩みを忘れ、自分のペースで水と戯れ、「重力の支配から一時的に逃れ」る時間を満喫するのである。
しかし、ここに突如として不穏な兆候があらわれる。「ひび」だ。第四レーンの排水溝の脇にあらわれたわずかなそれが、スイマーたちを動揺させる。不安。立腹。自らの「魂の汚点」の顕現のように思いこむなど。そしてプールは閉鎖され、スイマーたちは楽園を追われる。
「ひび」は脳内で静かに認知症を進行させるタンパク質の暗喩でもあるのか。スイマーズのひとりだったアリスは、プール閉鎖後、主役に躍り出る。
アリスが高校時代に得意だったラテン語がタイトルになる章には、しんみりさせられる。アリスの記憶にあることとないことが連ねられ、彼女が忘れるのは「あなた」(娘)の名前、おぼえているのは戦争のこと、日系人キャンプのこと、死産だった最初の娘、結婚しなかった恋人のこと。おぼえていることの鮮やかなディテールが胸を打つ。それらがやがて忘れられていくことも切ない。
次の章タイトルは病気が進行したアリスが入居する施設の名前だ。施設のサービスや入居の心構えを解説する広報担当者のような語りからは、一転してブラックユーモアが吐き出され、母親を施設に預けた作家の痛みが響くようだ。たとえそれが現実にはベストだとしても、老親が望んではいないだろう選択をするのはつらい。
最後の章ではまた一段と、アリスの病状は進行していく。状況はよくなりようがない。でも、からりとしたユーモアは時折差し込まれる。ことに、妻を施設に送った作家の父の日々のほろにがいおかしさは絶妙だ。
アリスの娘である作家は何度も、あれはいつ始まったのか、どうすればよかったのかと自問する。長いこと母親を顧みなかった後悔も押し寄せる。
これは知っている感覚だと思い当たる。「あなた」という二人称は、読み手のわたしを呼ぶ声のようでもある。わたしの後悔、わたしの思い出、わたしのいらだちが胸に去来する。もはや泳がないアリスと「あなた」の物語を、大事に抱きしめたくなる。