書評

『ジャズ・エイジは終わらない: 『夜はやさし』の世界』(青土社)

  • 2019/02/28
ジャズ・エイジは終わらない: 『夜はやさし』の世界 / 宮脇俊文
ジャズ・エイジは終わらない: 『夜はやさし』の世界
  • 著者:宮脇俊文
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(208ページ)
  • 発売日:2019-02-22
  • ISBN-10:4791771443
  • ISBN-13:978-4791771448
内容紹介:
フィッツジェラルドのマイノリティへのまなざし
『夜はやさし』に鳴り響く〈ジャズ〉の豊饒な小説世界
村上春樹『ノルウェイの森』やヘミングウェイ『エデンの園』との比較をとおして浮かびあがってくるものとは? そして、最高傑作『グレート・ギャツビー』に通底する世界とは? 哀しみと至福の文学体験へといざなう。

文学から世界を知る――周辺の文学としての「ジャズ・エイジ」

本書は、フィッツジェラルドの『夜はやさし』論という文学論にとどまるものではない。それは論考というより、あたかも『夜はやさし』という主人公の物語である。主人公の内面を漂わせ、写し込み、理解させる背景や世界観をくっきりと詳細まで描き浮かび上がらせた、実に奥行き深い一本の映画作品のようである。この映画のテーマが「ジャズ・エイジ」だ。

フィッツジェラルドという作家は「失われた世代」の代表格として、ヘミングウェイらとともに理解されてきた。「何が失われたのか」ということを深く考えずして、表面的に「何か」を象徴しているかのように扱われてきてしまったところに、著者は疑問を感じてきた。その疑問を解きほぐし明快にしてくれるのが「ジャズ・エイジ」なのだという。

「そこに描かれた世界はまさにジャズ・エイジそのものなのだ。ひとつはアメリカのジャズ・エイジ、そしてもうひとつは、フランスに舞台を移したジャズ・エイジである。そして、どちらもアメリカ人の物語であるという点を忘れてはならない」。

著者が注目したのは、1920年代、ジャズそのものが人種差別なく、酒とともに音楽的にも文化的にも繁栄していたのはフランスのパリなのであり、本国アメリカではなかったということだ。アメリカのジャズ・エイジが描かれたのが『グレート・ギャツビー』であり、そこではジャズを担っているはずの黒人は消されてしまっている。また、生まれつきの有閑階級と有閑階級には出自上なれない白人ギャツビーが出てくる。このことは著者の前著『「グレート・ギャツビー」の世界――ダークブルーの夢』に詳しく述べられているが、それでは舞台をパリに移した『夜はやさし』の中でのジャズ・エイジでは差別がなかったのかというとそうではなかった。

黒人はジャズの世界で脚光を浴び、白人に受け入れられてはいたが、アメリカ人の中での階級格差が顕著になってしまった。たとえば、第一次世界大戦後の好景気を笠に着て消費行動を繰り返す有閑階級出身の妻ニコルと、経済的に苦労して精神科医になった夫ニックのように。最初、精神的に病んでいたニコルはニックに支えられていたが、アメリカの経済繁栄と女性台頭という時代の波を受けたかのように、妻は病を回復させて夫を裏切り、今度は夫が精神的に壊れてしまう。著者がいう白人と黒人、裕福な出自の女とそうではない男の間でみられる「逆転現象」に着目すると、当時おかれていたアメリカの実情が浮上してくる。

私たちが「ジャズ」と言われて想像する、音楽的能力のある黒人が差別なくジャズマンで活躍するということは、1920年代のアメリカとパリでは異なっていたということだ。このことを2つの作品で見事に描き分けたフィッツジェラルドについて、著者は「人種や階級を強く意識した作家」であると指摘し、「『ギャッツビー』が広い意味での黒人の視点に立った作品であることを、あるいは、『夜はやさし』が階級格差に押し潰されていく白人を描いていることをもっと理解すべきではないだろうか。彼の作品はこのようにマイノリティーの立場を描いている点を忘れてはいけないのだ」と主張する。この主張が「ジャズ・エイジ」というテーマによって導き出されているのだ。

本書を読み進めるうちに考えざるを得なかったのは、今日のアメリカのことである。著者は深く追求してはいないが、最大限に著者の意図を敷衍するならば、いまも1920年代のままの社会状況なのではないだろうか、ということである。たとえばダイバーシティという名の下に、LGBTに対する気運と配慮が社会的に高まる一方で、トランプ大統領がメキシコとの国境に壁を作ろうとしており、それに賛成する白人が少なからずいる。つまり、著者が指摘するように『夜はやさし』は、いまも変わらず「アメリカ人の物語」を描いており、その意味で「ジャズ・エイジは終わらない」のである。おそらく、永遠に。

本書は単なる文学論ではないと冒頭で述べたが、さらに深読みをするならば、アメリカ文学の底流にはこの差別の問題が脈々と流れており、それを見据えることなくアメリカ文学は語れないと、著者は考えているのではないか。同時に、この差別の問題を客観的に考察することができるのは、実はアメリカ人ではなく、戦後に経済的な繁栄をし、バブルや失われた10年も経験し、アメリカのような根深い差別のある社会には生きていない日本人なのではないかと考えているのではないか。本書は、実に精緻で匂い立つような文章で文学を説き、社会的、文化的な現状を映し出した見事なものである。このようなことは実学ではできない。これこそがリベラルアーツなのだと改めて感じ入った。

[書き手:成蹊大学教授 挾本佳代]
ジャズ・エイジは終わらない: 『夜はやさし』の世界 / 宮脇俊文
ジャズ・エイジは終わらない: 『夜はやさし』の世界
  • 著者:宮脇俊文
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(208ページ)
  • 発売日:2019-02-22
  • ISBN-10:4791771443
  • ISBN-13:978-4791771448
内容紹介:
フィッツジェラルドのマイノリティへのまなざし
『夜はやさし』に鳴り響く〈ジャズ〉の豊饒な小説世界
村上春樹『ノルウェイの森』やヘミングウェイ『エデンの園』との比較をとおして浮かびあがってくるものとは? そして、最高傑作『グレート・ギャツビー』に通底する世界とは? 哀しみと至福の文学体験へといざなう。

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ALL REVIEWS 2019年2月28日

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