書評

『笑い犬』(講談社)

  • 2020/05/18
笑い犬 / 西村 健
笑い犬
  • 著者:西村 健
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(544ページ)
  • 発売日:2008-06-13
  • ISBN-10:4062760762
  • ISBN-13:978-4062760768
内容紹介:
メガバンクの支店長・芳賀は、ある日突然上層部に裏切られて、刑務所に入れられてしまう。会社をかばって沈黙を守り、精神的に追い詰められた芳賀は、自分も知らないうちに笑っていた。その「笑み」が、卑怯で狡猾な「勝ち組」をおののかせる―刑務所小説と企業人小説と家族小説を、革新的に融合した力作。

会社に裏切られた“負け犬男”が絶望のどん底から挑む“大逆襲”

乙石銀行中野坂上支店長の芳賀陽太郎は、懲役二年の実刑判決を受けて塀の向こうへ落ちた。銀行の〈貸し剥がし〉行為によって顧客の一人が自殺した。そのことが罪に問われたのだ。

検察の取り調べは苛烈を極めたが、芳賀は一切上層部の関与を認めず、単独犯と主張した。乙石銀行を守るためだ。だが判決が下った途端、元の勤務先の態度はてのひらを返したように冷たくなった。顧問弁護士に控訴を断られ、総務部からは退職金の返還を要求された。ローンで購入した自宅も任意売却を迫られることになったのだ。

なにかがおかしい。誰かが自分を陥れようとしている。失意の底に沈んだ芳賀を待ち受けていたのは、過酷な獄中生活だった。

刑務所に関する小説やノンフィクションは、一九八六年の安部譲二『塀の中の懲りない面々』(新風舎文庫)以降、定期的に話題作が刊行され、すっかり人気ジャンルとして定着した。最近では、元衆院議員・山本譲司による体験手記『獄窓記』(ポプラ社)が話題になったことが記憶に新しい。『笑い犬』はその系譜に連なる作品なのだ。

塀の向こうに放り込まれる主人公は、肉体的にも精神的にもひ弱極まりない人物だ。芳賀陽太郎は〈陰太郎〉とあだ名をつけられたことがあるほど内向的で、銀行における出世が唯一の生き甲斐だったような人物なのである。荒くれの服役囚たちに揉まれ、壊れてしまうのではないか。ついつい心配になって、ページをめくる手を止められない。おまけに服役が原因で、家庭まで崩壊してしまったとあってはなおさらである。

現実的な“変身”で

正直に言ってしまえば、本書は整った構成の小説とはいいがたい。前半部は筆が走りすぎだし、何度も繰り返される主人公の内省はくどすぎる。だがその欠点を補って余りあるほどに、刑務所の描写は魅力的である。描かれていることは非常に野卑なのだが、ユーモラスな味があるのだ。そして後半部、悪党どもに対して陽太郎が反撃を開始する段に入ると、物語からまったく目が離せなくなる。

冒険小説とは、追いつめられた人間の逆襲を描く小説のことである。もちろん本書もその伝統に則(のっと)っている。おもしろいのはモヤシ男が「ランボー」のように変身するわけではない点。作者は陽太郎の変化を現実的な範疇(はんちゅう)に留めている。そこに説得力があるのだ。「笑い犬」とは、彼の変貌のさまを表す言葉である。

真の意味で強い人間とはどんな存在であるのか、人間が本当に大事にしなければならないものは何か、この小説は読者に教えてくれるはずである。仕事一途で自分を顧みる余裕のない方にも、ぜひお薦めしたい。
笑い犬 / 西村 健
笑い犬
  • 著者:西村 健
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(544ページ)
  • 発売日:2008-06-13
  • ISBN-10:4062760762
  • ISBN-13:978-4062760768
内容紹介:
メガバンクの支店長・芳賀は、ある日突然上層部に裏切られて、刑務所に入れられてしまう。会社をかばって沈黙を守り、精神的に追い詰められた芳賀は、自分も知らないうちに笑っていた。その「笑み」が、卑怯で狡猾な「勝ち組」をおののかせる―刑務所小説と企業人小説と家族小説を、革新的に融合した力作。

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初出メディア

週刊現代

週刊現代 2006年10月28日

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