書評

『意識のスペクトル 1 意識の進化』(春秋社)

  • 2022/06/13
意識のスペクトル 1 意識の進化 / K・ウィルバー
意識のスペクトル 1 意識の進化
  • 著者:K・ウィルバー
  • 翻訳:吉福 伸逸, 菅 靖彦
  • 出版社:春秋社
  • 装丁:単行本(341ページ)
  • 発売日:1985-05-00
  • ISBN-10:4393360117
  • ISBN-13:978-4393360118
この本にはふたつの特徴があるとおもう。ひとつは嵌め込み法ともいうべき方法が使われて、およそ人の心をもとに世界を見る唯心的な考え方のすべてを、意識のスペクトラムのどこかに位置づけて、ひとつの綜合をやっていることだ。もうひとつはヨーガ、禅、密教、老荘のようなアジア的な唯心理念を、西欧的な論理と思考で裁断して、いちばんだいじなスペクトルバンドに位置づけていることだ。並べ方が単調で表面だけかすめとっているため、いく分か眉につばをつけたい気分にさせられてしまう。この印象をはじめにいっておかないと、この本が同種の著作のしばしばもっているいかがわしさから免かれている所以も生きてこないとおもう。つまりはこの本は唯心的な技術哲学の本、あるいは魂の応用化学の本だとみるのが、いちばん正当な気がする。多少は単調で並列構造的で不服だとしても、人間の魂の技術としてこの本のような綜合が、有効な見取図を与えるとしたら、それで良いとしなければならない。それにヨーガ、禅、密教などのアジア的な思想が、啓蒙的な解説と精神療法の実践的な効果によって、現在の悩めるアメリカや疲れたアメリカに喰い込み、驚きを与えた有様がとてもよく反映されている。この本の著者は、いわばはじめて接したアジア的な思想の特異さを何とかして、唯心理念と精神療法技術として、どこかに位置づけようとしたのだ。わたしたちアジア的な思想の伝統の厚みに千年以上もまえから眠らされ、その不毛さをいやというほど体験してきたものからみると、この本の著者がやっているヨーガや禅や老荘にたいする理解は、微妙な誤差を含んでいるとしかみえない。静かに眠り込んだり、死に込んだりする技術を何千年もかかって開発したなどというのは、アジアの停滞を象徴しているだけで、そのまま入れこむととんだ目にあうぞとしかおもえない。アジア的な思想がほんとうの意味で、現在に存在根拠があるとしたら、この著者のやっている単調な手続きでは駄目だとおもう。だがここでは書評の範囲を逸脱したくない。

著者はフロイトやユング、アドラーなどフロイト派の精神分析からヨーガ、禅、密教から老荘思想にいたるすべての唯心的な言説を、意識のスペクトラムの視点から、(1)自我レベル(自我を関与させる精神活動のすべて)、(2)実在のレベル(自我を超えた全有機体的な生命としての存在感覚)、(3)心のレベル(身体と精神とそれ以外の宇宙を包み込んだ一体の存在感)とに、おおきく区分してみせる。そして、ここがこの本の著者の特徴のひとつだが、わたしたちの知の様式には二つあって、(1)低い方の様式を「象徴的・地図の知識」と呼び、「知るもの」と「知られるもの」との区別の上になりたつ抽象化と二元化の推論、概念の様式をすべてこのなかに入れている。もうひとつは、(2)高い方の様式で、何ものも媒介にしないで得られる非二元的識知と了解のことで、キリスト教的な神秘主義、大乗仏教の空観や中観、老子や荘子の無為、ホワイトヘッドのいう会得のような概念が、このなかに包括されるとかんがえられている。

ここから著者のつぎの特徴があらわれる。わたしたちが絶対的な実在だとみなしてるのは、高い方の知の様式にかかわるもので、世界を見る状態と見られる状態に分割してしまわない以前の現実であり、これこそがただひとつリアリティと呼びうるものだ。だから「リアリティとは一つの意識のレベル」のことで、このレベルだけが現実的なものだといえる。世界を見る主体(自我、実存)と見られる対象的世界に分割したとき、すでに人間は疎外された断片としてしか、じぶんの思惟も思惟対象もおしすすめることができなくなった。

現実に存在するのは、「万物と自己同一化し、宇宙の基本エネルギーと一つで」ある唯心のレベルだけであり、世界を分別して「万物との宇宙的アイデンティティ」から「有機体との個人的アイデンティティ」へ移行したとき、まず実存のレベルに転落したことだった。また「わたしの身体」と「わたしの思惟」と分割したとき、さらに自我のレベルに転落したことになる。さらにいえば自我を好ましい局面と好ましくない局面とに分割して、好ましくない局面を抑圧してしまったとき、ユング派の主張するような意識の「影」のレベルを産みだしてしまった。著者はそう主張する。いいかえれば著者ケン・ウィルバーは、ギリシャ以来現代にいたるまで西欧の哲学的な思考と論理と科学がたどった経路と、その成果である文明社会の通念を、意識のスペクトラムとしては、一路転落と先細りと微分化の過程のほかではないとして否定的なニュアンスで批判していることになる。

だが一方、とこの著者はいう。ヨーガや大乗仏教や老荘のような一系列のアジア的な思惟は、ただひたすら万物との宇宙的な自己同一化の境地をもとめ、その状態にいたる魂の技術だけを発達させてきてしまった。現在の疲れきった化学者や猛烈なビジネスマンや憂うつな家庭の主婦たちが、高度な不安な文明のなかで、日常生活するときにもっている意識のレベルは、いわば「低い方の知の様式」のさまざまな局面にあたっているのだが、これらのアジア的思惟はそういうことについて、まったく何の考慮も配慮も払わないできた。

この問題を解決するためには、どうしてもこれらのアジア的な思惟と境地と、そこへいたる魂の技術を、西欧的な思考と論理によって補ない、意識のスペクトラムのなかのどの位置にあるか、また相互関係はどうなっているかを、明確にさせる作業が前提になる。それがこの本の著者の最終的な主張であり、そのためにこの本が書かれたのだと著者はかんがえている。

この著者がいうようにアジア的思惟と西欧的な論理が簡単に接合されるとはかんがえられない。だが単純化するために、この著者はヨーガや大乗仏教の一系列や老子や荘子から、内在的深層をいっさい剝奪してしまっている。いいかえれば看板だけをたてている。わたしは西欧的思考と論理の歴史については、何かいう勇気はないが、たぶんそれも著者によって単純に表層化されている気がする。だからこの本の嵌め込みが近似的に可能になったとかんがえる。

わたしが示唆をうけたのは、この著者が意識のスペクトラムの構造の原理として、ある意識状態が高いレベルに励起されるとき、その反作用としてより低い意識レベルへの転移が起こるといっていることであった。この概念を著者は分子や原子のエミッション・スペクトルの概念から得ているとおもわれた。

【この書評が収録されている書籍】
言葉の沃野へ―書評集成〈下〉海外篇  / 吉本 隆明
言葉の沃野へ―書評集成〈下〉海外篇
  • 著者:吉本 隆明
  • 出版社:中央公論社
  • 装丁:文庫(273ページ)
  • ISBN-10:4122025990
  • ISBN-13:978-4122025998

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意識のスペクトル 1 意識の進化 / K・ウィルバー
意識のスペクトル 1 意識の進化
  • 著者:K・ウィルバー
  • 翻訳:吉福 伸逸, 菅 靖彦
  • 出版社:春秋社
  • 装丁:単行本(341ページ)
  • 発売日:1985-05-00
  • ISBN-10:4393360117
  • ISBN-13:978-4393360118

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初出メディア

マリ・クレール

マリ・クレール 1986年4月

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